ニュースレターNo.52/2012年11月発行
JPNIC会員企業紹介
「会員企業紹介」は、JPNIC会員の、興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介するコーナーです。
今回は「企業」ではありませんが、産業を支えるためにも産学一体となって活動を続け、2013年で発足から25周年を迎える、WIDEプロジェクトの代表、江崎浩氏にお話を伺いました。発足当時から変わらない理念の下、続けられている研究活動とネットワーク運用について、また研究活動のモチベーションと広がる活動領域、インターネットの魅力についても語っていただきました。
WIDEプロジェクト (略称:WIDE) |
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住所 : | 〒252-8520 神奈川県藤沢市遠藤5322 慶應義塾大学 環境情報学部 村井研究室 |
設立 : | 1988年 |
代表 : | 江崎 浩 |
URL : | http://www.wide.ad.jp/ |
活動内容 : | コンピュータネットワークに関する研究および運用 |
メンバー : | 935名(2012年10月1日時点) |
お話しいただいた方:
WIDEプロジェクト
代表 江崎 浩氏
インターネットは、皆に『選択肢』を与えるもの。
~分散コンピューティングでそれを担保し続けたい~
WIDEプロジェクトが、 設立以来、めざしてきたもの
JPNIC:まずはWIDEプロジェクト(以下、WIDE)の、活動内容についてご紹介いただけますでしょうか。
江崎:WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)という名前の通り、大規模で広域におよぶ分散型コンピューティング環境に関するさまざまな「研究」と「運用」を産学一体となって行っている団体です。
研究活動プロジェクトの数は、「セキュリティエリア」「インターネットエリア」「トランスポートエリア」「オペレーション&マネジメントエリア」「アプリケーションエリア」「ジェネラル&ディプロイメントエリア」に分かれて、現在、20~30ぐらいはあるでしょうか※。特に活発な活動としては、「WIDEクラウド」と「ハンドメイド」の二つ(ともに後述)があります。
また一方ではMルートサーバ、dix-ie、NSPIXP3等の運用を行っています。
※http://www.wide.ad.jp/project/security-j.htmlのそれぞれのエリアを クリックすると、どんなワーキンググループが活動しているか見ることができます。
JPNIC:そもそもWIDEは、どのようにして始まったのでしょうか。
江崎:WIDEは「プロジェクト」ということで短期間の印象があるかもしれませんが、1988年の発足から数えて来年(2013年)で四半世紀になります。WIDEプロジェクトにつながるものとしては、まず1984年に始まったJUNETがあります。これは慶應義塾大学、東京工業大学、東京大学の三つの大学を電話回線でつないだのが始まりです。当時は電話回線でコンピュータをつないではいけなかった時代ですが、東京大学(当時)の石田晴久先生(故人)のご尽力で実現しました。その翌年1985年に、WIDE研究会という名称で、WIDEプロジェクトの前身となる活動が始まります。
JUNETは電子メールとネットニュースの交換のためのネットワークで、いろいろな分散処理ができる環境は、組織内部に限られていました。広域分散環境の研究を行うためには組織間を専用線でつなぐ必要があり、それにはお金が必要でしたので、企業との共同研究の形を取りました。5社から600万円ずつで3,000万円の資金を得、回線費用とコンピュータの購入費に充てました。これがWIDEが産学共同となった始まりです。
JPNIC:今は共同研究に賛同してくれる民間会社は何社ぐらいなのですか?
江崎:今では100社を越えるスポンサーにご協力いただいており、共同研究、あるいは委託研究を行っています。企業から出資してもらったお金の使い道は、コンピュータや通信回線の購入、ラックを借りる費用が大半を占めます。また、スポンサー企業の方々も、興味があればワーキンググループに入って活動していますし、メーリングリストでの情報交換も行っています。
JPNIC:研究テーマとして、先ほど、「WIDEクラウド」「ハンドメイド」などのお話が出ましたが、具体的に何をやっているのですか?また、その面白さについても教えてください。
江崎:「WIDEクラウド」は、全国の大学をつないだ広域のクラウドで、いわばテストベッドです。クラウドと言うと普通は1ヶ所のデータセンターに閉じて置かれているイメージですが、WIDEクラウドの場合は4拠点あって、そのうち奈良と藤沢がメインとなる拠点です。
これを始めたのは、「Web 2.0」「クラウド」などと世の中が言い出した頃ですね。でもその頃のサービスの多くは、目的が限定され、閉じられすぎていました。だからこそ、相互接続性を持たせて運用してみようと考えたのです。研究論文を書くためにクラウドを作ったのではなく、その上で実際に生活できるようなものを作りました。
また、「ハンドメイド」というのは、文字通り、ルータやコンピュータを、プログラマブルな半導体を使って、できるだけ自作することです。
今は、こうした機材の基盤は何でも、ブラックボックス化されてしまい、自分でいじれなくなってますね。例えば、携帯電話を使って何かを作ってみようと思っても、自由に遊べません。若者の中にはコンピュータの中身には興味を持たない人も出てきていますが、自分たちで中身を理解することは重要ですし、そもそもスーパーコンピュータ的なものは、「既成のもの」ばかりであるはずがないんです。そんな思いもあって、この「ハンドメイド」も大きな柱になっていますね。あるメンバーはコンピュータのHDDが遅すぎるからと言って、SSDを10個ぐらい並べて使っています。彼にはそれが面白いということなのでしょう。
JPNIC:こうした研究活動はどのような形態で行われているのですか?
江崎:最も大きな活動としては毎年2回行っている3泊4日の合宿があり、毎回300人ぐらいが集まることもあって、実験場としてもすごく価値があります。その他に年2回、各2日間の日程で開催する研究会があります。合宿には、設立以来代表を務め現在はFounderである村井純氏も私も、毎回必ず参加しています。
また、特殊な例ではありますが、例えば、KAMEプロジェクトのように、5、6社ぐらいからプログラミング能力の高い人を出してもらい、週3日以上は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの苅込(KArigoME)の建物に缶詰になってプログラムを書いてもらったこともありました。週3日だとほとんど毎日という感じです。その中で一番頑張ったのが、亡くなってしまったitojun(萩野純一郎氏)でした。
ネットワーク基幹の運用に必要なもの ~先進性・継続性、そして中立性~
JPNIC:研究活動を行いながら、その一方でMルートサーバやdix-ie、NSPIXP3の運用を着実に継続されていますね。その辺りの運用などをお話しいただけますか?
江崎:ルートサーバについては、何と言っても世界の期待に応える運用が必要です。ルートサーバはインターネットそのものを象徴しているものですから。
また、政府からの独立性を保つことがとても重要だと考えていますので、運用に当たっては国からの補助金は入れたくありません。しかし絶対に落とせないサーバなので、運用資金の確保はやはり重要な課題です。現状では、このような考え方に共感していただける民間企業の協力もあって、産学ベースでの運用ができています。
ルートサーバだけでなく、dix-ieやNSPIXP3も、資金的なことを含めて、産学で共同運用しています。
JPNIC:資金的な苦労はありながらも、きちんと運用していくことが必要ですよね。
江崎:はい。国のお金でこれらの運用をした場合、予算が無くなった途端に運用ができなくなることが容易に想像され、それではコアの部分に要求されるものに応えられない結果となってしまいます。そのような事態を避けたいというのが、国のお金でこれらの運用をしない理由です。
また、仮に技術の進歩が無くてもいいのであれば「学」が無くて「産」だけでもいいのかもしれませんが、先進性と中立性を維持するためには「学」の役割も大事です。その辺りはJPNICにもよく当てはまるのではないでしょうか。先進性と中立性をキープして、さらにインフラとしての継続性を持たせるということが最も苦労するところです。
人類に役立つことをやってみることが、 自分にとっても面白い
JPNIC:WIDEの発足から間もなく四半世紀ということですが、長い活動の歴史の中で変わらないところは何でしょうか。
江崎:WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)という名前がずっと変わっていないように、分散コンピューティングの環境を作っていくことは変わりません。そして、あまりアプリケーション領域には踏み込まず、あくまでもプラットフォームをメインとしていることも従来通りです。その中で一貫してこだわっているのは相互接続性です。相互接続性が無ければグローバルなプラットフォームになりませんので。
JPNIC:企業との共同研究という形態も、今に至るまで変わらないところですね。
江崎:はい。研究は国から研究費をもらうためにやっているのではなくて、産業と世界のためにやっていますから、継続していくための苦労はありますが、歯を食いしばって産学共同での研究にこだわっています。皆「世の中のためになる研究をする、研究のための研究はしない」という心構えでやっています。
JPNICのような非営利団体や活動に対する政府の立ち位置と同じと思いますが、産学のすることを政府は後押ししていく、という形がいいと思うのです。
研究と言うとプロトタイプやデモを作ることが多いですが、デモやプロトタイプだと、ラボで動けばいいかなというイメージを持つのに対し、我々はきちんと動くものを尊重します。実用に耐え得る、プロフェッショナルクオリティのテストベッドを構築し、動かしていく。これもWIDEの変わらないポリシーです。最近は、こういうことを40歳以下のメンバーを中心に回せるようにしていこうとしています。
JPNIC:「役立つこと」ということでは、災害時に衛星インターネットを活用した支援をされていましたね。
江崎:WIDEは、衛星インターネットの運用を合宿の時にずっと続けてきました。そのおかげで、SOI-Asiaは、2004年のインドネシア津波の際には遠隔での授業を提供できましたし、東日本大震災でも、被災地へのインターネット接続の提供を行うことができました。続けてきたからこそ、今回被災地で役に立たせることができ、こんなことをずっと続けてやっている集団は他に無いし、若い人たちに継承していくことの重要性も、あらためて感じることができました。
JPNIC:まさに、「継続は力なり」ですね。運用経験の蓄積は、一朝一夕にできることではないと思います。
反対に、WIDEの活動の中で変えていこうと思っていることや、周囲から寄せられる期待の変化といったこともあるのでしょうか?
江崎:無理やり変わろうとは思っていません。また、続けなければならないとも考えておらず、いつもその時に技術的に面白いと思っているものに取り組んでいます。だから、5年後に何をしているかはよく分かりません。
ではどんなことが面白いかと言われると、それは「コンピュータを使って人類のためになる」ことです。これはまったくぶれていません。
JPNIC:研究テーマは次々と出てくるものなのでしょうか?
江崎:面白いと思うことをテーマにしていますから、アイデアは自然と出てきます。例えば先述のWIDEクラウドも、「バーチャルマシンがすごく面白い。じゃあ、それを動かしていこう」ということから始まっていますし、ハンドメイドも、「自分で全部作りたい」と、興味を持っている人が何人もいて、そういうメンバーによって始まりました。
例えば僕個人のことを言うと、ビルなどの話を聞いていて、50年前のコンピュータ業界みたいだな、と感じました。そして、そういうものはオープン化して楽しい話にしたいなと思いました。それで始めたのが「グリーン東大ICTプロジェクト」です。こんなふうに、「これをやりたい」とか、「これを変えたい」とか、そこからすべての活動につながっています。
インターネットアーキテクチャでビルマネジメントも ~広がる研究領域~
JPNIC:グリーン東大ICTプロジェクトは、2008年にグッドデザイン賞を受けられましたね。具体的にはどういうことをされているのか教えてください。
江崎:簡単に言うと、IPv6でビルマネジメントをしています。グッドデザイン賞以外にもいくつか賞をもらいました。
開始当時、ちょうど東京中で再開発が行われていたという時代背景があったのですが、調べてみたところ、ビル運営のコストのうち電気代が約30%にも上ることが分かり、興味を持ちました。またさらには、管理にはIPなどを使っておらず、各社が独自の規格でバラバラにやっていることも分かり、それならオープン化したい、ということでスタートしました。
JPNIC:ビルのファシリティマネジメントのほとんどをIPでやっている、ということでしょうか?
江崎:最終的にはそれが目標ですが、バックボーンはIP化しながらも、既存のシステムも使える仕組みをめざしています。
つまりこれは、シスコシステムズ社が創業当初にマルチプロトコルルータを用意して、「従来のプロトコルも使っていいから、バックボーンはIPにしてね」と推進して成功したモデルと同じです。この辺りが、研究のための研究ではなく「産業界と一緒に使えるものを作る」というところです。ビルの耐用年数は数十年単位と長いですから、システムの置き換えにはコンピュータより時間がかかります。そこに今チャレンジをしているところですね。
JPNIC:そういえば何年か前に「車が電気を運ぶ」というお話をされていましたね。面白そうだと思いました。これについても実現しそうでしょうか?
江崎:電気自動車のバッテリーを使って電気を運ぶという研究は、結構なところまでいっています。最近はみんなが言っていることですが、自分が最初に考えた時はとても面白いと思いました。
ここでのポイントは「電気は蓄積(=バッファ)しづらいものだが、分散したバッテリーに蓄積すれば、自由に動かせる」という点です。
インターネットがどうしてこれだけ流行ったのだと思いますか?それは電話との比較をしてみるとよく分かります。
電話はかけ手と受け手が同期しなければならないものです。これに対してインターネットは、メッセージをデジタル化して、パケットにして、メディアインディペンデントにしました。ここで重要なのは「バッファ」です。インターネットでは同期をさせずに、自由にバッファすることができるし、メモリもHDDも移動させられる。それがデジタル化の本質的なところです。
JPNIC:なるほど、バッファという特性で考えると、電力は今までそれを効率的に行う仕組みが無かった、ということですね。
江崎:そうなんです。例えば「石油」というエネルギーは、すごく効率が良いものです。タンカーに乗せて移動させられるし、タンクというバッファもありますから。無駄が非常に少なく、産油国では産出量のコントロールを1ヶ月単位などで行っていますが、それでも需給が溢れたりしません。でも今のところ電気はそういうことができません。
バッファリングが十分な規模でできると、エネルギーシステムは、電話がインターネットになったのと同じような革命が起きるでしょう。つまり、電力を貯めて輸送できるようになると、それが供給のシステムを変えますから。そのためには、現在唯一実用的な電気バッファであるバッテリー以上に、効率的で安価なバッファが必要ですけどね。
今までの20年と、これからの10年
~インターネットのアーキテクチャを他の業界に どれだけ展開できるか~
JPNIC:WIDE、そして私たちの今までの20年と、これからの10年は、どういうものだと考えますか?
江崎:最初の10年、WIDEの研究のメインは「ブロードバンドの常時接続」でした。その頃、もちろん産業界はダイアルアップでした。
次の10年だと研究のメインは「IPv6=何でもつなぐぞ」ということです。一方、産業界では、WIDEが前の10年で取り組んだブロードバンドの常時接続がメインとなりました。政府の「e-Japan戦略」が打ち出された頃ですね。
今はさらにその次の10年に入ってきています。産業界は研究に追いついて、IPv6になってきました。では、WIDEは研究として今、何に取り組むべきなのか?
JPNIC:その答えは何なのでしょうか?
江崎:「インターネットのアーキテクチャの良さを他の業界にどれだけ広められるか」ということだと思っています。これは、いわば挑戦です。
インターネットのアーキテクチャを使って世の中のシステムを改良していくには、TCP/IPのプロトコルを使用するのも一つの方法なのですが、そればかりが「インターネット的にする」ことではありません。インターネットは「自律分散」という特性を持っていますが、その考え方を、他のビジネス分野に応用していくことを考えているのです。
例えば村井さんは医療分野への応用に力を入れていますが、それは医療機器をTCP/IPでつなげばいいということではなく、そこでは「すべての情報に患者さんが自由にアクセスできるような仕組みになっていた方が良い」という、患者さんが主役の、インターネットのようなユーザー主体のシステムを作っていくということをめざしています。
同様に、インターネットの仕組みをいかに賢く使ってビルシステムや、他のエネルギーシステムなど、いろいろなものを分散管理していくかというテーマがまだまだあります。分散管理を成功させている事例は、依然としてインターネットしかありませんので。
ネットワークの末端で分散しているユーザーが自律的に動き、さらにそれがネットワークを介して協調して動く、その協調がネットワーク側に主導されるのではなく、ユーザー側に主権とコントロールがある、という状況において、ユーザーに自由度と選択肢を提供することが、インターネットそのものであり、とても重要だと考えます。
こうして考えると、WIDEの活動領域は無限に広がるわけですが、それはJPNICにも同じことが言えるのではないでしょうか。
今後に向けた我々の挑戦
~インターネットが「選択肢を提供するもの」であり続けるために~
JPNIC:WIDEがめざす方向性、また今後を支える人材に、このように育って欲しい、というお考えはありますか?
江崎:WIDEは10年、20年と活動してきて、今は次の30年に向かっている途中です。3rd Decadeになるわけですが、この時期に代表となるに当たって三つの方向性を打ち出しました。「グローバル化」、「ハンドメイド化」、そして「発信と提案のアクティブ化と戦略化」です。
一つ目のグローバル化が実は一番新しいかもしれません。つまり留学生や外国人を我々が戦力にすること、あるいは我々も海外に積極的に出ていくということです。そのためにはやはり英語が話せなくてはなりません。グローバル化に消極的だったのはシニア世代です。英語が得意な人ばかりではありませんから。
JPNIC:そうなのですか?シニアの方は十分ご活躍なさっているように見えます。
江崎:英語が話せないわけではありませんが、どうしても英語での議論は内容が40~50%になってしまうと感じている人が多いと思います。しかし、今後のグローバル社会で、若者たちに生き延びてもらうためには、英語が絶対に必要です。日本語できちんと伝えたいという気持ちも分かりますが、日本語だけでやっていると、いざ英語が必要な時に何にも話せないことが多いです。そのため、WIDE合宿も英語にしていますし、海外とのインターンシップにも積極的に取り組んでいます。そういう環境を作ってあげることが、我々シニアの責任だとまで感じています。
英語が話せることで多くの可能性が広がります。最先端の技術との交流が可能となりますし、外国からの人材も受け入れやすくなり、研究にも良い影響が出ます。今までは、海外に工場を作ってもそこを日本化することばかり考えていましたが、英語ができれば現地の慣習に合わせた仕組みも考えやすくなります。JPNICもAPNICからのインターンシップを受け入れたり、APNICへ行って人事交流を深めるとよいと思いますよ。
JPNIC:そのような中でJPNICに求められる姿はどのようなものだとお考えになりますか?
江崎:WIDEもJPNICもインターネットの専門家です。専門家として、産業界に対してきちんと対話をしていかないといけません。それも、自分たちから出向いて行くことが重要です。向こう側のシステムのことを考えて提案をし、よく話をした上で変えていくことが重要です。
JPNIC:具体的に果たすべき役割は何でしょうか?
江崎:JPNICの役割はやはり、「名前と番号」の一意性を確保していくことです。グローバルかつ透明性を保ちながら、一意性をどう担保していくのか。JPドメイン名の登録管理業務は移管しましたが、現在もIPアドレス・AS番号の割り当て管理業務を行っており、一番のエキスパートであることに変わりありません。これらのIDの一意性が無いとインターネットは成り立ちませんし、国からは独立していないといけないということも一番よく分かっているはずです。
JPNIC:最後に、江崎さんにとってインターネットを一言で言い表わすとしたら何でしょうか?
江崎:「選択肢を提供するもの」でしょうか。
インターネットの先駆者、Bob Kahn氏と話した時に、彼が、インターネットのすばらしさの本質は、「TCP/IPが優れているから」ということではなく、「インターネットが『オルタナティブ=選択肢』を皆に与えるものだからだ」と言っていました。
オープンで、選択可能なアーキテクチャ(社会)があるからこそ、発明も生まれるし、新しいものも導入できます。しかし、選択肢というのは与えすぎると、グローバルな中での秩序が保てなくなる危険性を併せ持っているものです。
「アドレスの管理」も「選択と管理」の中では相反する側面を持っています。ボトムアップでポリシーを決める一方で、管理自体はボトムアップだけでは不可能で、トップダウンになることもあります。これは自律分散システムを作る際に「どこには統治機能が必要か」という話です。
一意性を確保しながら、選択肢を与え続ける基盤を守ることは本当に難しいことですが挑戦する価値のあるものです。僕は、そんなふうに考えています。