日本におけるインターネット資源管理の歴史

~ドメイン名とIPアドレスを中心とした日本のインターネットの歩み~

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第10章 IPv4アドレス在庫枯渇とIPv6

図:タイムライン

1990年代前半のインターネット商用化とともに、 近い将来に予測されるIPv4アドレスの在庫枯渇に向けて、 CIDR技術の導入、IPv6の規格策定などに関係者が一丸となって取り組んだのは第5章で述べた通りです。 しかし、 IPv6はIANAからのアドレス分配が始まった1999年から少しずつ展開が始まるものの、 IPv4を代替するまでには至らず、インターネットの急速な拡大は、 IPv4によって進んできました。 しかしこれからは、 2011年にIANAにおけるIPv4アドレスの在庫が枯渇し、 以降APNICを皮切りに、 RIRが順次在庫枯渇を迎えており(執筆時点)、 インターネット全体でのIPv6導入が待ち望まれます。 本章では、1990年代後半以降、 インターネットの急速な拡大の中での、IPv6推進や、 IPv4アドレス在庫枯渇に向けた対応について解説します。

インターネット上に出現したIPv6

IPv6の規格は、1995年以降順次拡充され、 1998年に基本仕様であるRFC 2460[208]がまとまったことで、 ルータベンダーからもIPv6に対応した機器の提供が始まり、 IPv6ネットワークの構築に乗り出す事業者が現れ始めました。 IANAは、 RIRに対するIPv6アドレスの分配を翌年の1999年に開始し[209]、 APNICをはじめとするRIRでも暫定ポリシー[210]によって、 IPv6アドレスの割り振りが開始されました。[211]

日本のIPv6推進に向けた努力

日本の関係者は、 将来のインターネットを支えることになるIPv6で世界に貢献するとともにリーダーシップを取るために、 IPv6の技術開発を積極的に推進しました。 2000年9月、日本政府は、 当時の森喜朗首相の国会における所信表明演説[212]において「e-Japan構想」を発表し、 その中で明示的にIPv6に対して積極的に取り組む姿勢が示されました。 民間でもIPv6普及・高度化推進協議会[213](以下、IPv6協議会)」が、 インターネット業界に留まらず、家電業界など、 ネットワーク機能の組み込みで製品を高機能化しようとする業界も巻き込んで組成され、 IPv6推進の取り組みが加速されました。 また、財団法人インターネット協会(IAjapan、 執筆時点は一般財団法人)でも、 IPv6の普及啓発や情報交換の場の提供を主な活動目的として、 2001年4月にIPv6ディプロイメント委員会[214]が発足し、 IPv6サミットの開催など、 インターネット業界の中での普及活動を進め、 執筆時点でも活動を継続しています。

こうした取り組みは、国内だけでなく、アジア太平洋地域、 グローバルな場でも展開されました。 アジア太平洋地域においては、 Asia Pacific IPv6 Task Force[215]が2003年に組成され、 各国のIPv6推進活動の間の協力と調整によって、 アジア太平洋地域全体にわたる面的な推進活動が展開されました。 またグローバルには、 IPv6 Forum[216]が組成され、 世界中のIPv6推進に携わる人々の協力の場として、 イベントや認証プログラムの実施などを通じて、 IPv6を推進しました。 日本からも荒野高志氏、 江崎浩氏がボードメンバーに名前を連ねました。

WIDEプロジェクトでは、 IPv6プロトコルスタックに関するリファレンスコード[217]を開発する「KAMEプロジェクト[218]」が始動し、 これによって開発されたリファレンスコードは、 UNIXのOSであるBSD (Berkeley Software Distribution)系のOSにそのまま採用されるとともに、 たくさんのネットワーク機器に採用されるようになりました。 多くのユーザーが利用することになるPC用OSへの実装は、 2002年のWindows XP SP1およびMacOS X(10.2)からとなります。 また、KAMEプロジェクトと並んで、 「TAHIプロジェクト[219]では、 機器に搭載されたIPv6の相互接続性検証に世界的に貢献し、 IPv6 Forumが進めた認証プログラムの一つ「IPv6 Ready Logo[220]」の認証テスト基盤となりました。

IPv6の普及が徐々に進む中で、 1999年以降暫定ポリシーで分配されていたIPv6アドレス分配についても、 より実際的な課題が見え始めてきました。 JPNIC IPアドレス検討委員会とIPv6協議会を中心とした日本のコミュニティが、 IPv6アドレスポリシーの見直し議論も主導しました。 まだまだ普及の初期段階であることを考慮して、 新たなIPv6アドレスポリシーは、 各RIRが個別に策定するのではなく、 それぞれのRIRで同じ内容のポリシーを採用する「グローバルコーディネーテッドポリシー」をめざして議論が進められることになりました。 その結果として、ポリシー提案は、 すべてのRIRでコンセンサスを取り付ける必要があったため、 各RIRのミーティングが開催されるたびに、関係者は現地に赴き、 提案のプレゼンテーションを行い、 コンセンサスに向けた活動を行いました。 当時の提案グループのメンバーは、 このポリシー議論のために地球を一周半回ったと言われています。 この日本の関係者による努力によって、2002年7月に、 概ね現在と同様の、 新たなIPv6アドレスポリシーが施行されることになります[221]

コラム:グローバルコーディネーテッドポリシー

IPアドレスポリシーは、 RIRそれぞれのポリシーフォーラムのコンセンサスに基づき、 RIRごとに定められます。 この仕組みが文書化され明確になったのは、 当時の三つのRIRともに、2000年ごろです。 それまでは、IPアドレスの管理ポリシーに関してもRFC 1466、 RFC 2050など、 IETFでの議論を経て定められたものが用いられたため、 RIRごとに、分配方針が大きく異なることはありませんでした。 RIRフォーラムが確立した後には、 IPアドレスの分配に関するポリシーはRIRフォーラムに委ねられました。 IPv6アドレスに関しては、IETFでは、IPv6のアドレスのうち、 Format Prefixと呼ばれる先頭3ビットおよび後尾64ビットの「技術領域」、 それ以外の間61ビットの「ポリシー領域」に分割し、 「ポリシー領域」の管理方針に関してはRIRに委ねることを明確化しました。

IPv6の暫定ポリシーの改定議論は、この直後に起こりました。 各RIRはそれぞれにアドレスポリシーを定めることができますが、 普及の初期段階でIPv6の適用例がまだまだ少ないことを考えると、 地域ごとに見られる状況の開きが大きく、 それが影響してコンセンサスに至るポリシーに大きな開きが起こりえたことから、 暫定ポリシー改定は、すべてのRIRで同じポリシーを採用する、 「グローバルコーディネーテッドポリシー」をめざして行われることになりました。

この、2002年に改定されたIPv6アドレスポリシーは、 執筆時点で唯一のグローバルコーディネーテッドポリシーです。 ただしそれ以降に、 各RIRにおいてそれぞれに変更が加えられたため、 現在のIPv6アドレスのポリシーはRIRごとに少しずつ異なります。 第6章第7章で述べたIANAにおけるIPアドレス管理の要領を定める「グローバルポリシー」は、 その定義、策定プロセスともに明確に定められていますが、 グローバルコーディネーテッドポリシーはその限りではなく、 当時の関係者たちが、 好ましいポリシーの在り方を検討した結果である、 と言うことができます。

IPv4で進むインターネットの普及

この1990年代後半から2000年代初頭にかけて、IPv6の仕様策定、 実装開発も進む一方で、インターネットは世界的に、 桁違いのスピードで急速な普及と発展を遂げていきます。 IPv6は新たなプロトコルであるため、 当然それを利用するユーザーやサービスが極めて少なかったこと、 インターネット上のサービスのほとんどすべてがIPv4上に存在すること、 IPv6がIPv4と互換性のないプロトコルであることから、 この発展はIPv4によって進みました。 このような状態ではIPv6がIPv4に代わってインターネットの拡大を支える存在とは言いがたく、 IPv6インターネットの本格的展開を待つ間、 近い将来に在庫枯渇が予測される中で最大限インターネットの拡大を実現するために、 IPv4アドレスの分配は、 より「節約」を重視する方針へと推移しました。 技術的には、 第5章で述べたクラスレス技術や、 閉域網にプライベートアドレスを用い、 インターネットへの接続の際にはグローバルアドレスに変換して通信を行うNAT (Network Address Translation)[222]技術などは、 インターネットの拡大に伴うアドレス不足への対応策として、 非常に効果的だったと言えます。 インターネットの拡大は、IPv6の必要性を高める一方で、 IPv6移行へのハードルを高めるという皮肉な結果になったとも言えます。

これらの技術を背景にして、 1996年にまとめられたRFC 2050[223]では、 分配先の向こう2年間の、 具体的なIPアドレス利用計画をレジストリが精査した上で、 必要十分なIPアドレス空間を分配することが定められ、 「節約」に偏重したアドレス分配が行われる流れができました。 これに加え、第6章で述べた通り、 RIR-NIR-LIR間でアドレスポリシーを共有し、 精査基準を「アサインメントウィンドウ」などで擦り合わせる仕組みによって、 徐々に「アドレスの節約」という考え方が、 より広く浸透していくことになります。

この頃には、 一般企業のWebサイト開設なども当たり前になりつつあり、 そのためのホスティングサービス(レンタルサーバ)も普及してきました。 当時のWebサイトはまだまだ静的なコンテンツが主流だったため、 ホスティングサービスへのIPアドレス割り当ての際には、 HTTP/1.1[224]で実現されたネームベースのホスティングを推奨していました。 また接続サービスにおいても、 複数のユーザーで一つのIPアドレスを使い回せるような、 動的なアドレス割り当てが主流となっていました。

このように、アドレス節約に重点をおいた分配方針により、 IPv4アドレスの消費ペースは若干ではありますが、 鈍化していくことになります。

図:IANAからのIPv4アドレス分配
図10-1 IANAからのIPv4アドレス分配数グラフ。 1995年から2005年にかけて、一旦消費ペースが鈍っています。 (http://www.potaroo.net/tools/ipv4/fig06.pngより)

しかし、節約が重視される一方で、 経路の爆発[225]に関する懸念が徐々に深刻になってきます。 経路数が10万から15万になり、 そして20万へと向かっていく中で、 JPNICはこれまでの独自のアドレス在庫を持つ方式から、 APNICと在庫を共有する方式に変更し、 アドレスをできるだけ細切れにしないよう、分割損を減らして、 アドレスの節約効果を高められるようにしました[226]

また、インターネットの拡大とともに、 事業者におけるIPアドレス需要も高まる一方で、 厳しすぎる審議基準が、 拡大や新規事業を望む事業者における事業運営に影響を及ぼすようになってきたことから、 それまでの節約一辺倒から、 徐々にアドレス節約と経路集成のバランスを考慮した分配にシフトしていくことになります。

常時接続の浸透で加速するIPv4アドレス消費

2000年代初めからは、 徐々にブロードバンドサービスの普及が始まり、 2004年頃からは一気にユーザー数が拡大されていった時代です。 それまで主流であったダイヤルアップ接続では、 ユーザーは必要な時だけ回線を接続するため、 ISPがインターネット接続サービス提供に必要なIPアドレス数は、 全ユーザー数よりも少ない、最大同時接続数となります。 しかし、常時接続が当たり前になっていくことにより、 動的な割り当てだとしても、 全ユーザー数のアドレスが必要となってきました。 それに加え、 IP電話がインターネット接続とセットになるサービスなどで、 1ユーザー(加入世帯)に対して複数のIPアドレスを必要とすることも見られるようになってきました。 さらに、サーバ側でも、 複雑なシステム構成によって動的なコンテンツやプログラムを実行したり、 SSLを利用した通信が普及したりすることによって、 ホスティングやデータセンターでも、 顧客ごとに固有のアドレスを割り当てる必要が多くなり、 全体的にアドレスの消費ペースが早まってきました。

これは日本だけに限らず、 急激な経済発展を進める中国や東南アジアの国々においても同様で、 IPアドレス需要の高まりは、 アジア太平洋地域全体としての傾向となっていました。

図:APNICからのIPv4アドレス配布
図10-2 APNICからのIPv4アドレス分配ペース。 1997年頃から、じりじりと消費ペースが増えてきました。 (http://www.potaroo.net/tools/ipv4/fig27h.pngより)

現実感を増してきたIPv4アドレス在庫枯渇

このような状況を背景として、2005年、 IPv4アドレスの在庫枯渇予測のレポートが相次いで発表された[227] [228]ことで、 あらためて、IPv4アドレスの在庫枯渇が間近に迫った現実的な問題として関係者の間で捉えられるようになってきました。

JPNICでは、 それらのIPv4アドレス在庫枯渇予測に関するレポートを精査し、 その予測の妥当性を検証するとともに、 在庫枯渇に向けた対応策について提言をまとめた報告書「IPv4アドレス枯渇に向けた提言」を2006年4月に公開しました[229]。 これは、 IPv4アドレス在庫枯渇の問題が広く認知されるきっかけの一つとなりました。 しかし、この頃はまだ一部の方、 特に古くからインターネットを利用していた方などは、 IPアドレスの在庫が枯渇すること自体に懐疑的であったり、 IPv6を強引に進めるための方便ではないか、 といった疑念もありました。

しかしJPNICでは、 引き続き翌年の2007年6月に「IPv4アドレスの在庫枯渇状況について」[230]という報道発表とともに「姿勢表明文」[231]を発表し、 IPv4アドレス在庫枯渇の解決に積極的に取り組んでいく意向を明確にしました。 その後、IPv4アドレス在庫枯渇への対応に組織的に取り組むため、 役員および有識者による検討会を開催し、 検討を進め、 その成果として、 同年末に「IPv4アドレス在庫枯渇問題に関する検討報告書(第一次)」を公開しました[232]。 この報告書では、 一時的な延命策としてIPv4アドレス利用効率化が有効であるとした上で、 最終的な解決策としてはIPv6に対応するしかないことを再度強調しました。

IPv4アドレス在庫枯渇とIPv6に関する啓発活動

このように、IPv4アドレス在庫枯渇に向けて、 JPNICなどが検討と情報提供を進めていましたが、 この「インターネット黎明以来最大」とも言える危機に対する認知度を上げるためには、 啓発活動の面的な展開が急務だと、 日本の関係者の間で認識されていました。 そこで2008年9月に、 JPNICを含むインターネット関連諸団体が連携する形で、 「IPv4アドレス枯渇対応タスクフォース[233]」が立ち上がりました。 タスクフォースでは、 IPv4アドレス在庫枯渇の問題を広く認知させて、 ステークホルダーごとの具体的な対応策を検討し、 それを具体的なロードマップとして示すことによって、 日本におけるIPv4アドレス枯渇対応=IPv6対応を全体的に推進することが企図されていました。 コンテンツ提供者やプログラム開発者など、一部、 十分に周知が行き届きづらいセグメントもありましたが、 タスクフォースの活動によって、 組織種別ごとの対抗計画案を示した「アクションプラン」をはじめとする、 豊富な情報提供を行うとともに、 参加団体の間でIPv4アドレス在庫枯渇に対する課題を共有すること、 各団体の活動を相互に支援することを通じて、 2011年2月のIANA在庫枯渇[234]や、 2011年4月のAPNIC在庫枯渇[235]のタイミングを、 大きな混乱なく迎えることができました。

また、ネットワーク技術者におけるIPv6技術の浸透を図るべく、 IPv6ハンズオンセミナーやテストベッドについても、 JPNICもその中心メンバーとなって提供しました。

在庫枯渇に向けたIPv4アドレスポリシー

IPv4アドレスの在庫枯渇が現実的になるにつれ、 IPv4アドレスの最後の在庫をどのように扱うのかが、 アドレスポリシー検討の焦点となってきました。 JPNICオープンポリシーミーティング(JPOPM)で活発な議論が行われた[236]結果、 JPOPMで議論を中心的に進めた人々が共同で、 IANAの在庫が/8ブロック五つになった時点で、 すべてのRIRに1ブロックずつ分配することを旨とする「IPv4カウントダウンポリシー」[237]を起草しました。 これはIANAの業務方針を定めるため、 「グローバルポリシー」をめざした提案です。 JPNIC役職員は提案チームの一員として、 IPv6暫定ポリシーの改定の時と同様に、 RIRミーティングを行脚しました。 途中同様のポリシーを提案したLACNIC地域の提案者とも合流して、 結果的に2008年、 IPv4カウントダウンポリシーがグローバルポリシーとして成立しました[238]

在庫枯渇が現実的になってから程なく、2007年には、 APNICのアドレスポリシーSIG[239](Special Interest Groups、シグ)で、 IPv4アドレスを組織間で「移転」して融通し合う「IPv4アドレス移転ポリシー」が提案されました[240]。 IPアドレスは、 それまでの間「レジストリから借用して使う」という考え方で一貫しており、 ある組織で余ったIPアドレスは一旦レジストリに返却され、申請してきた別の組織にあらためて分配されるというのが、 基本的な考え方でした。 一方、「移転」という行為は、 IPアドレスをあたかも所有物のように扱い、 余ったアドレスの処分先を自ら決めるものであるという観点で、 黎明期から続いてきた、 IPアドレス管理の考え方を大きく変えるものでした。 そのため、APNICフォーラム、JPOPMともに、 非常に大きな議論となり、APNIC、JPNICともに、 提案以来2年をかけた2009年にIPv4アドレスの移転ポリシーが成立しました。 JPNICでは、JPOPMでコンセンサスに至った後、 さらに理事会にて慎重に検討した結果、 2011年8月にIPv4アドレス移転制度が施行されました[241]。 これによって、 ある組織の余剰アドレスを他の組織に移すことが可能となり、 JPNICにおける在庫枯渇以降の、 IPv4アドレス需要にある程度応えることができるようになりました。

IPv4アドレス在庫枯渇後のIPv6インターネット

IANAにおけるIPv4アドレスの中央在庫は、 2011年2月3日に枯渇を迎えました[242]。 続く4月15日には、 アジア太平洋地域におけるIPv4アドレス在庫が枯渇しました[243]。 そして2012年9月14日に、 ヨーロッパ地域のRIPE/NCCで在庫枯渇を迎えました[244]。 南米地域を受け持つLACNICでも、 2014年6月10日に在庫が枯渇しています。 ARINでも、2014年中には在庫枯渇を迎えると言われています。

このように、レジストリにおける在庫は順次枯渇していますが、 ISPや事業者レベルでの在庫枯渇時期はそれぞれが抱える在庫によって異なり、 移転による余剰アドレスの調整も行われているため、 世の中のIPv4アドレスの在庫や余剰が完全になくなるまでには、 まだもう少し時間がかかると予想されています。

そもそも、IPv6が開発された時には、 IPv4アドレスがなくなる前にIPv6の普及が完了し、 IPv4アドレスの在庫枯渇が問題とならないようにすることが、 シナリオとして考えられていました。 しかし、 クライアントPCやサーバのOSにおけるIPv6対応は進んだものの、 ISPのネットワーク基盤に対するIPv6対応は、 コストが掛かるにもかかわらず、 それに見合う価値が見い出しにくいため、 事業として正当化することが難しいという問題がありました。 そんな中、 日本における、 ユーザーとISPをつなぐアクセスラインのIPv6対応は、 日本特有のアクセスライン事情を軸に進んでいきます。

日本では、多くのISPが、 ユーザー宅に対するアクセスラインをNTT東日本、 西日本のフレッツサービス[245]に依存しているため、 フレッツサービスにおけるIPv6対応が、 ISPの接続サービスのIPv6対応の前提条件となっていました。

フレッツサービスのIPv6化に関する要望は、 IPv4アドレス在庫枯渇が現実味を帯びてきた2005年頃から、 ISPを中心に徐々に挙がりはじめましたが、 明確な方針が打ち出されたのは、 総務省が2007年8月から2008年4月まで開催した「インターネットの円滑なIPv6移行に関する調査研究会」[246]、 および、2008年1月から2009年2月まで開催した、 「インターネット政策懇談会」[247]においてでした。 この間には、ISPとNTTとの間で協議が繰り返し持たれ、 その様子は懇談会報告書に示されています[248]。 この結果、 2009年8月にフレッツサービスにおけるIPv6インターネット接続サービスの接続方式が認可され、 3年弱のサービス実装作業の後、2011年5月、 APNICのIPv4アドレス在庫が枯渇した月に、 フレッツサービスによるIPv6インターネット接続が開始されました[249]

この後、ISP各社においては、 フレッツサービスによってインターネット接続サービスのIPv6対応が進んでいきましたが、 問題もありました。 IPv6インターネット接続に未対応のユーザーにおいて、 IPv6にも対応しているサイトにアクセスしようとすると、 データ転送開始までに非常に大きな遅延が発生するというもので、 「フォールバック問題」と呼ばれます。

フレッツサービスでは、NTT東日本、西日本共に、 インターネット接続以外に、 「フレッツ・スクウェア」と呼ばれる独自の情報サービスが従来から提供されており、 このサービスには、 インターネットに先駆けてIPv6が使われていました。 フォールバック問題とは、このフレッツ網に閉じたIPv6が、 インターネット上のIPv6サイトの接続に干渉するために発生するものでした。 フレッツ網において先進的にIPv6を導入したことが、 後のIPv6インターネットの展開の局面で支障を来たす、 という皮肉な結果となったわけです。

この状況に対して非常に大きな反応を示したのは、 Google社でした。 Google社は2008年頃から自社のサービスにおけるIPv6対応を進めていたため[250]、 フォールバック問題によるアクセス遅延の影響[251]を大きく受けることになったことが、 主要な理由として挙げられます。 日本に駐在するGoogle社のIPv6担当者は、 NTTや日本の事業者にも対応を強く働きかけました[252]

これに対する根本的な対策は、 ユーザーのインターネット接続をIPv6対応にすることですが、 全ユーザーにこの対応を施すには時間が掛かります。 そのため、Googleをはじめとするコンテンツ事業者、ISP、 NTTなどが協議しながら、それぞれに運用回避策を取ることで、 当座の解決が図られました。

このような経緯はあったものの、 多くのISPがフレッツサービスを利用してユーザーにインターネット接続を提供している日本の状況では、 フレッツサービスのIPv6インターネット接続によって、 アクセスラインのIPv6対応が大幅に進みました。 言わば「産みの苦しみ」とも言うべきトラブルに対応しながら、 ISPでは接続サービスに対するIPv6対応を進め、執筆現在、 大手ISPにおいては、新規ユーザーに対して基本サービスとして、 IPv4に加えてIPv6も提供すること、 また一部のISPでは既存のすべてのユーザーにもIPv6機能を追加する方針を打ち出すなどの、 IPv6展開に向けた努力が続けられています。

グローバルな取り組みとしては、 Internet Society (ISOC)が中心となって、 事業者やベンダーにおけるIPv6への動きを加速するいろいろな活動が行われています。 2011年6月6日の「World IPv6 Day」[253]では、 この日24時間、 参加組織のメインのWebサイトをIPv6/IPv4のデュアルスタックにするという試みが実施されました。 翌年2012年6月6日には、この取り組みを拡大し、 「World IPv6 Launch」[254]として、 1日だけでなく恒久的な営みとしてIPv6対応を行う事業者やベンダーが募集され、 これに応じて、既にIPv6対応が進んでいたGoogle社、Facebook社、 KDDI社など主要なコンテンツプロバイダーやISPなどが、 名乗りを上げました。 このような活動が契機となり、IPv6のトラフィックは、 インターネット全体からすると小数ではあるものの、 伸び率としてはかなり大きくなっているようです[255]

今後、新規のユーザーから徐々にIPv6が標準となり、 IPv6ユーザーも少しずつ増えていくことが予想されますが、 莫大な数の既存のIPv4インターネットユーザーとリソースをIPv6対応(IPv6ユーザーとの通信を可能に)していくためには、 それなりの時間と労力がかかります。 しかしこれは、 インターネットの歴史的に大きな転換点でもあります。 インターネットはこれまでも、開発者、運用者だけではなく、 利用者も含めたさまざまな方々が関与することによって、 その発展が支えられ、いくつもの課題を克服してきました。 今後も、たくさんの人たちの連携や協力によって、 日本におけるインターネットの歴史が刻まれていくのではないでしょうか。

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[208] Deeing, S., Hinden, R., "Internet Protocol、Version 6 (IPv6) Specification”, RFC 2460, December 1995
http://tools.ietf.org/html/rfc2460

[209] IPv6 ALLOCATION SERVICES
http://web.archive.org/web/20000815234715/www.apnic.net/drafts/ipv6/#backgr

[210] PROVISIONAL IPv6 ASSIGNMENT AND ALLOCATION POLICY DOCUMENT
http://web.archive.org/web/20000815064207/http://www.apnic.net/drafts/ipv6/ipv6-policy-280599.html

[211] インプレスR&D刊、江崎浩監修「IPv6教科書」ISBN978-4-8443-2487-4 、8.1 アドレス管理最前線

[212] 第百五十回国会における森内閣総理大臣所信表明演説
http://www.kantei.go.jp/jp/morisouri/mori_speech/2000/0921jpg_syosin.html

[213] IPv6普及・高度化推進協議会
http://v6pc.jp/

[214] IPv6ディプロイメント委員会について
https://www.iajapan.org/ipv6/about_ipv6.html

[215] Asia Pacific IPv6 Task Force
http://www.ap-ipv6tf.org/

[216] The IPv6 Forum
http://www.ipv6forum.com/

[217] 技術規格を実装した標準ソースコード

[218] The KAME Project
http://www.kame.net/

[219] TAHI Project
http://www.tahi.org/

[220] IPv6 Ready Logo Program
https://www.ipv6ready.org/

[221] APNICにおける新IPv6ポリシーの施行について
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2002/20020625-01.html

[222] https://www.nic.ad.jp/ja/tech/glos-kz.html#03-nat

[223] K. Hubbard, M. Kosters, D. Conrad, D. Karrenberg, J. Postel, “INTERNET REGISTRY IP ALLOCATION GUIDELINES”, RFC 2050, November 1996
http://tools.ietf.org/rfc/rfc2050.txt

[224] Fielding, R., Gettys, J., Frystyk, H., Berners-Lee, T., “Hypertext Transfer Protocol -- HTTP/1.1", RFC 2068, January 1997
http://www.ietf.org/rfc/rfc2068.txt

[225] https://www.nic.ad.jp/ja/tech/glos-ka.html#12-routing-explosion

[226] APNICアドレスプールからの割り振りについて
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2003/20030814-01.html

[227] Geoff Huston, IPv4 - How long have we got?
http://www.potaroo.net/ispcol/2005-11/numerology.html

[228] Tony Hain, A Pragmatic Report on IPv4 Address Space Consumption
http://www.cisco.com/web/about/ac123/ac147/archived_issues/ipj_8-3/ipv4.html

[229] 報告書「IPv4アドレス枯渇に向けた提言」公開にあたって
https://www.nic.ad.jp/ja/research/ipv4exhaustion/

[230] IPv4アドレスの在庫枯渇状況とJPNICの取り組みについて
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2007/20070619-01.html

[231] 姿勢表明文「インターネットレジストリにおけるIPv4アドレスの在庫枯渇に関して」
https://www.nic.ad.jp/ja/ip/ipv4pool/ipv4pool-JPNIC-070619.pdf

[232] 「IPv4アドレス在庫枯渇問題に関する検討報告書」を公開
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2007/20071207-01.html

[233] IPv4アドレス枯渇対応タスクフォース
http://kokatsu.jp/

[234] IANAにおけるIPv4アドレス在庫枯渇、およびJPNICの今後のアドレス分配について
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2011/20110204-01.html

[235] APNICにおけるIPv4アドレス在庫枯渇のお知らせ、および枯渇後のJPNICにおけるアドレス管理ポリシーのご案内
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2011/20110415-01.html

[236] 例えば、2007年7月17日開催JPOPM12
http://jpopf.net/opf-jp/opm12/opm12-program.html

[237] prop-046: IPv4 countdown policy proposal
https://www.apnic.net/policy/proposals/prop-046

[238] prop-055: Global policy for the allocation of the remaining IPv4 address space
https://www.apnic.net/policy/proposals/prop-055

[239] https://www.nic.ad.jp/ja/tech/glos-kz.html#03-SIG

[240] prop-050: IPv4 address transfers
https://www.apnic.net/policy/proposals/prop-050

[241] IPアドレス管理業務に関するJPNIC文書施行のお知らせ~IPv4アドレス移転制度の実施に伴うJPNIC文書の施行~
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2011/20110801-02.html

[242] Available Pool of Unallocated IPv4 Internet Addresses Now Completely Emptied
http://www.icann.org/en/news/press/releases/release-03feb11-en.pdf

[243] APNIC IPv4 Address Pool Reaches Final /8
http://www.apnic.net/publications/news/2011/final-8

[244] RIPE NCC Begins to Allocate IPv4 Address Space From the Last /8
http://www.ripe.net/internet-coordination/news/announcements/ripe-ncc-begins-to-allocate-ipv4-address-space-from-the-last-8

[245] NTT東日本、西日本が構築して加入者を収容するIPネットワークを、ISPの足回り回線として提供するサービス。
http://flets.com/

[246] インターネットの円滑なIPv6移行に関する調査研究会
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/chousa/ipv6/

[247] インターネット政策懇談会
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/chousa/internet_policy/

[248] http://www.soumu.go.jp/main_content/000009979.pdf
38ページ (5)インターネットのIPv6化への対応(現状15)

[249] 枯渇タスクフォース・アクセス網WGではサービス開始に当たって報告会を開催し、 技術事項や検討経緯などを報告しています。
報告会資料ページ:http://kokatsu.jp/blog/ipv4/data/wg.html
JAIPA木村氏による「JAIPAとNTT東西での検討状況と結果」: http://kokatsu.jp/blog/ipv4/data/02_20090615AccessWG_JAIPA.pdf

[250] Colitti, L."IPv6 transition experiences", NANOG50 Meeting, October 2010
http://www.nanog.org/meetings/nanog50/presentations/Wednesday/NANOG50.Talk41.colitti-IPv6%20transition%20experiences.pdf

[251] 具体的には、広告バナーの表示に支障が発生することが指摘されました。

[252] 総務省 IPv6によるインターネットの利用高度化に関する研究会(第18回) 資料18-2 「日本におけるIPv6の状況と今後に向けての提言(グーグル株式会社),2012年5月
http://www.soumu.go.jp/main_content/000160398.pdf

[253] Archive: 2011 World IPv6 Day
http://internetsociety.org/ipv6/archive-2011-world-ipv6-day

[254] World IPv6 Launch
http://www.worldipv6launch.org/

[255] GoogleのIPv6統計データページでは、 Googleのサイトに対するIPv6によるアクセスの統計を公開しており、 2012年、 2013年において2倍を超える伸び率を示していることが分かります。
https://www.google.com/intl/ja/ipv6/statistics.html