- + はじめに
- + 第1章 資源管理とレジストリ
- + 第2章 JNIC発足前の資源管理とJPNICの設立
- + 第3章 JPNICによる資源管理への本格的な体制整備
- + 第4章 ドメイン名における資源管理方針の変遷
- + 第5章 本格的インターネット時代のIPアドレスポリシー
- + 第6章 グローバルなIPアドレス管理体制の確立へ
- + 第7章 ICANNによるグローバルなドメイン名管理体制
- + 第8章 汎用JPドメイン名とJPRSの設立
- + 第9章 登録情報の「公開」と「開示」
- + 第10章 IPv4アドレス在庫枯渇とIPv6
- + 付録1:IPアドレスとドメイン名の説明
- + 付録2:インターネット資源管理の変遷
- + 歴史編纂チームについて
- + 修正履歴
第2章 JNIC発足前の資源管理とJPNICの設立
TCP/IP[15]やDNSなど、 インターネットを構成する重要なプロトコルの多くは、 インターネットの前身であるARPANETにおいて1980年代に開発され、 運用が開始されました。 そして、それらのプロトコルの仕様がRFCとして公開され、 誰でも利用可能なオープンなものとなったことから、 ARPANET以外のネットワークや、 ネットワーク間の相互接続などにも利用されるようになりました[16]。
それに伴い、ドメイン名やIPアドレスといった、 それらのプロトコルで用いられる共通資源の円滑な管理運用が急務となりました[17]。 ここでは、 1980年代から1990年代初頭における日本の資源管理の状況を振り返り、 1991年12月のJNIC発足[18]を経て、 1993年4月のJPNIC設立[19]に至るまでの経緯を解説します。
ドメイン名管理のはじまり
初期の「名前」の管理はネットワーク単位で
1970年代から1980年代のネットワークにおいて、 接続機器を特定するための「名前(ホスト名)」は、 それぞれのネットワーク単位で独立に管理されていました。 ARPANETにおけるSRI-NIC(エスアールアイ・ニック)[20]や、 BITNET(ビットネット、 1980年代から1990年代初頭にかけて存在した広域ネットワークの一つ)におけるBITNIC(ビットニック)[21]など、 それぞれのネットワークにNetwork Information Center (NIC、ニック)と呼ばれる管理組織が存在し、 各NICがマスターとなる台帳(ホストテーブル)を個別に管理することで、 それぞれのネットワーク内における名前の一意性を実現していました。
DNSの開発とドメイン名のはじまり
第1章で述べた通り、 1983年にDNSが開発され、 ARPANETは従来の単純なホスト名の一覧という平面的な名前の管理から、 ドメイン名による階層的な名前管理へと移行しました[22]。 その後、TCP/IPの利用がARPANET以外にも広がり、 DNSのMXレコード[23]を参照した電子メール配送方式[24]が普及することによって、 ARPANET以外のネットワークにおいてもドメイン名とDNSによる名前の管理が利用されるようになりました[25]。
そして、 米国では「.com」「.edu」「.gov」「.mil」「.net」「.org」の六つと、 ARPANETホスト名からの移行用の「.arpa」の、 合計七つのトップレベルドメイン名(TLD)が導入され[26] [27]、 ネットワークをまたいだ統一的な名前管理が行われるようになりました。
日本を表すTLDは「.jp」に
ARPANETではドメイン名を導入する際、 米国以外の国との接続も想定していました。 1984年に発行されたRFC 920には「国のTLDには国際標準であるISO 3166-1のalpha-2(2文字)を使用する」と明記されています[26]。
なお、ISO 3166-1にはalpha-2以外に、 alpha-3(3文字)や numeric(3桁の数字)という規格も存在しています。 しかし、3文字のTLDは前述の通り既に米国向けに使われていたため、 2文字の識別子であるalpha-2が採用されることとなりました。
また、国別コードの根拠としてISO 3166-1を参照することにより、 国の定義やTLD文字列の妥当性など、 レジストリが国際問題に巻き込まれるリスクの回避が図られました。 この考え方は「何が国であり国でないか、 その文字列が特定の国にとって適切かどうかの判断をしない」というInternet Assigned Numbers Authority (IANA、 アイアナ)[28]のポリシーとして、 現在も生き続けています[29]。
こうして、日本を表すTLDは「.jp」に決まりました。
日本における名前管理
1980年代の日本のネットワークにおいても、 米国とほぼ同様の形態の名前管理が実施されていました。 例えば、BITNETJP(ビットネットジェーピー)は米国BITNETと、 HEPnet-J(ヘップネット・ジェー)は米国HEPnet(ヘップネット、 高エネルギー物理学の研究推進のために構築された広域ネットワーク)との間で、 ノード名[30]の管理を調整していました。
そして、当時のJUNET(ジェーユーネット)[31]では「junet-admin(ジェーユーネット・アドミン)」というグループが、 JUNET内における名前管理を担当していました[32]。 JUNETはボランティアベースの実験ネットワークであり、 junet-adminもボランティアベースでの活動となっていました。
JUNETにおける階層的な名前管理
日本の名前管理における特筆すべき事項として、 当時のJUNETではTCP/IPではなくUUCP(ユーユーシーピー)[33]をベースとしていたものの、 DNSの導入以前にドメイン名を用いた階層的な名前管理が実現されていたことが挙げられます。 1985年に開発されたmailconf[34]により、 “jun@cc.titech.junet”といった、ドメイン名を用いた電子メールアドレスの利用が可能になっていたのです[35][36]。
そのため、 junet-adminでは第2レベルドメイン名(この例ではtitech)の一意性のみを管理すればよく、 つまりJUNETではこの時点で、 組織とドメイン名の一対一での管理が実現されていたことになります。 そしてこのことが、 後の「組織名.junet」から「組織名.xx.jp」への円滑な移行につながりました。
「.jp」の村井純氏への委任と属性の導入
1980年代にTCP/IPが使われ始めた当初、 IPアドレスをはじめとするネットワーク間において共通の割り当てが必要な番号や名前は、 南カリフォルニア大学情報科学研究所(Information Sciences Institute; ISI、アイエスアイ)のJon Postel氏が一元管理していました[37]。
日本を表す「.jp」の管理については、 1986年にPostel氏から村井純氏に委任されました[38]。 その後、 1988年に当時の日本における主なアカデミックネットワーク(BITNETJP、 HEPnet-J、JUNET)間において、 村井氏への委任と.jpへの移行が合意されました[39]。 その際、 JPドメイン名には組織種別に応じた「AC」「AD」「CO」「GO」「OR」の五つの属性が導入されました[40]。
このような属性が導入された背景として、 当時のインターネットを構成する各アカデミックネットワークには、 研究およびその支援以外での利用を禁止するなど、 利用目的に一定の制限を加えるAcceptable Use Policy(AUP、エーユーピー)と呼ばれるルールが存在していたことが挙げられます[41]。 そのため、電子メールの送受信やファイル転送などにおいて、 送信元・送信先の組織種別ごとに、 利用可否や通信経路の制御などを細かく実施する必要がありました。 このような制御のために、 ドメイン名を利用することを試みたのです[42]。
そして、 1989年にJUNETが.jpに移行したことを皮切りに[43]、 JPドメイン名の本格運用が開始されました。
JNICの設立と名前管理の引き継ぎ
このようにしてJPドメイン名の本格運用が開始されましたが、 この時点ではJPドメイン名を登録管理するための、 専門の団体は存在していませんでした。 そのため、 既に組織とドメイン名の一対一での管理を実現していたjunet-adminが、 結果としてJPドメイン名の割り当て作業を暫定的に担当する体制となりました[44]。
その後、JPドメイン名の公平な管理のためには、 日本の各ネットワーク間において共通に利用可能で、 かついずれのネットワークにも属さない組織が必要であるということが、 ネットワーク間における共通認識となりました[45]。 そして、 当時のネットワークおよび学会の代表から構成されるJCRN(研究ネットワーク連合委員会、 ジェーシーアールエヌ)の場における調整の結果[46]、 日本のネットワークにおける資源管理のあり方に関する調整が実施され、 1991年12月に日本のNICとして「日本ネットワークインフォメーションセンター(JNIC、ジェーニック)」が発足しました[18]。
JNICは発足と同時に、 JPドメイン名の管理を暫定的に担当していたjunet-adminから、 JPドメイン名の管理を引き継ぎました[46]。
DNSサーバの運用開始と引き継ぎ
JPドメイン名を管理するための権威DNSサーバ、 すなわち現在のJP DNSサーバにつながるDNSサーバの運用も、 1989年に開始されました[47]。 運用開始当初はWIDE(ワイド)プロジェクト、TISN(タイスン)、 JAIN(ジェイン)のDNS管理者を中心とする「bind-admin(バインド・アドミン)」というグループがその管理を担当し、 JNICの設立とともにJNICがその管理を引き継ぎました[48]。
IPアドレス管理のはじまり
Postel氏からの直接割り当て
前述した通り、 TCP/IPが使われ始めた1980年代、 IPアドレスをはじめとするネットワーク間で共通の割り当てが必要な番号はPostel氏が一元管理していました。 そして、 同氏が割り当てた結果は「The NIC(当時、 インターネットのIPアドレスやドメイン名の割り当てを担当していた組織)」が文書化し、 RFCやThe NICが運営するWHOISサービスにより公開されていました[37]。
日本においても、 1986年に日本電信電話株式会社(NTT)に割り当てられたIPアドレス[49]や、 1987年に東京大学に割り当てられたIPアドレス[50]は、 それぞれの団体の担当者が直接、 Postel氏から割り当てを受けています。
「バルクアサインメント」実験の開始
Postel氏や村井氏、また、 後にヨーロッパ地域において地域インターネットレジストリ[51]となるRéseaux IP Européens Network Coordination Centre[52]の立ち上げに参加することになるDaniel Karrenberg氏らは、当時から、 将来の業務量の増加やその地域固有の言語での対応の必要性など、 国別・地域別NICの設立による作業分担化の必要性を強く認識していました[44]。
そして、村井氏はPostel氏やKarrenberg氏らと相談の上、 将来を見据えたIPアドレスのバルクアサインメント(国・地域単位での一括割り当て)の実験を進めることとなりました。
その結果、1989年に村井氏はPostel氏からクラスAアドレスを1個、 クラスBアドレスを254個、 クラスCアドレスを512個の「日本向け」IPアドレスブロックの割り当てを受けました[53]。 村井氏は、これらのIPアドレスブロックを、 和田英一氏(当時、東京大学教授)を委員長とする「ネットワークアドレス調整委員会(以下、 調整委員会)」が管理する体制とすることで、 日本におけるIPアドレス割り当ての円滑化を図りました[54]。
ネットワークアドレス調整委員会からJNICへ
しかし、調整委員会によるIPアドレス割り当て作業は、 多忙な大学教員による手作業かつボランタリーなものであり、 業務量の急激な増加によるIPアドレス割り当て作業の遅延が問題となってきました。
この問題を解決するため、 IPアドレス割り当て業務を調整委員会からJNICに引き継ぐこととし、 1992年6月に引き継ぎ作業が完了しました[45]。 前述の通り、 JNICはこの時点でJPドメイン名の登録業務をjunet-adminから既に引き継いでおり、 これにより日本におけるIPアドレス割り当てとJPドメイン名登録の両業務は、 日本のNICであるJNICが担当することとなりました。
また逆引きDNSについては、 JPNIC設立後の1993年に当時のInterNICから、 JPNICが管理するIPアドレスに対する逆引きDNSゾーンの委任を受けています[55]。
JNICからJPNICへ
JNICでは、 当時の日本における各ネットワークから選出された委員がその運営を担当する体制とすることで、 運営の公平性を確保していました[45]。 こうした運営体制の考え方は、 その後のJPNICにも引き継がれています。
当時、JNICは明確な財政基盤を持たず、 アカデミックネットワークの連合体であるJCRNの下部組織として運営されていました。 しかし、 業務スタッフの確保や業務に使用するネットワーク・サーバなどの確保に必要な財政基盤の確立が急務となり、 同時に、商用ネットワークの出現を間近に控え、 アカデミックネットワーク以外への対応も考慮した体制を構築する必要が出てきました[56]。
そして、 各ネットワークの意見を求めた上で新たな組織体制について検討した結果、 参加ネットワークを会員とする新たな団体を設立し、 業務の継承とともに内容の充実を図るべきであるという結論に達しました[57] [58]。 その結果、 1993年4月に任意団体として「日本ネットワークインフォメーションセンター」が設立され、 業務を開始しました[19][57]。 また、この際に将来の世界各国におけるNIC設立を考慮し、 名称を従来の「JNIC」から2文字の国別コードを冠する「JPNIC」に改称しています[57][58][59]。
コラム:JNIC/JPNICの設立に関連したネットワークグループ
当時、 JNIC/JPNICの設立に関連した日本のネットワークグループを以下に紹介します。 これらのネットワークでは当初、 それぞれの通信プロトコルによりネットワークの構築が進められていましたが、 その後TCP/IPによる相互接続を考慮したものに移行していきました。
BITNET/BITNETJP(1981/1985〜2006)
「Because It's Time Network (in Japan)」の略。 1981年開始の米国BITNETと東京理科大学のメインフレームを専用線で接続し、 電子メール、チャット、メーリングリスト、ファイル転送をサービス。 BITNETともどもIBMのメインフレームを中心とするネットワークであり、 IBMが開発した各種通信プロトコルが利用されていました。 1992年に東京理科大学はTCP/IPベースのJOINを開始し、 BITNETJPはJOINのネットワーク上で運用されるようになりました。
HEPnet/HEPnet-J(1984〜)
「High-Energy Physics Network Japan」の略。 高エネルギー実験を行う大学や研究所間で高速なデータ転送を行うためのネットワークとして運用を開始。 当初はNTTのデジタル交換網を利用しましたが、 後に専用線に置き換わり、米国のHEPnetと接続していました。 運営当初は米国DEC(Digital Equipment Corporation)社(当時)が開発したDECnetと呼ばれるプロトコルが主流でしたが、 1987年に開発されたDECnet Phase VでTCP/IPがサポートされ、 1990年代にはTCP/IPが優勢となりました。
JAIN(1990〜1997)
「Japan Academic Inter-university Network」の略。 TCP/IPベースで大学間を結ぶ実験ネットワーク。 X.25[60]パケット交換網上に構築されました。
JUNET(1984〜1994)
「Japan/Japanese University NETwork」の略。 東京大学、東京工業大学、 慶應義塾大学の3大学を電話回線で結んで始まった、 UUCPベースの研究用ネットワーク。
SINET(1992〜)
「Science Information NETwork」の略。 学術情報センター(現、国立情報学研究所)が1992年に運用を開始。 ATM交換網上にTCP/IPを用いて構築されました。 2014年現在は第4世代となる「SINET4」の運用が継続されています。
TISN(1989〜1996)
「Todai International Science Network」の略。 東京大学とハワイ大学をTCP/IPで結ぶ形で運用開始。 国公立/特殊法人/公共性の高い民間の研究機関が参加した、 科学技術研究を支援する目的の国際ネットワークです。
WIDEプロジェクト(1988〜)
WIDEは「Widely Integrated Distributed Environment」の略。 広域に及ぶ分散型コンピューティング環境に関する、 産学共同の研究プロジェクト。
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[15] J. Postel (ed.), "Internet Protocol - DARPA Internet
Program Protocol Specification", RFC 791, USC/Information
Sciences Institute, September 1981.
http://www.ietf.org/rfc/rfc791.txt
[16] R. Zakon, "Hobbes' Internet Timeline", RFC 2235, The
MITRE Corporation, November 1997
http://www.ietf.org/rfc/rfc2235.txt
[17] Introducing IANA
http://www.iana.org/about
[18]「JNICからJPNICへ 10年の歩み - JNIC発足」
https://www.nic.ad.jp/ja/history/10th/page01.html
[19] 平原正樹, 「JPNICレポート2」, UNIX MAGAZINE 1993年9月号
https://www.nic.ad.jp/ja/pub/unix-m/1993-09.html
[20] M.D. Kudlick, "Host names on-line", RFC 608, SRI-ARC,
January 1974
http://www.ietf.org/rfc/rfc608.txt
[21] CREN | CREN History and Future
http://www.cren.net/cren/cren-hist-fut.html
[22] J. Postel, "Domain Name System Implementation Schedule
-Revised", RFC 921, October 1984
http://www.ietf.org/rfc/rfc921.txt
[23] Mail eXchangeに由来し、 電子メールの配送先ホストを指定するレコードです。
[24] P. Mockapetris, "Domain System Changes and Observations",
RFC 973, January 1986
http://www.ietf.org/rfc/rfc973.txt
[25] J.S. Quarterman, "The Matrix", pp.111, Digital Press, 1990
[26] J. Postel, J.K. Reynolds, "Domain Requirements", RFC 920,
October 1984
http://www.ietf.org/rfc/rfc920.txt
[27] RFC 920には「.net」の記述はなく、
後のnamedroppersメーリングリストでの議論により正式導入前に追加されました。
参考:E. (Jake)Feinler, "HOST TABLES, TOP LEVEL DOMAIN NAMES
AND THE ORIGIN OF DOT COM", March 2010
http://www.bortzmeyer.org/files/HistoryoftheTLDs.pdf
[28] https://www.nic.ad.jp/ja/tech/glos-ij.html#02-IANA
[29] IANA — Qualifying top-level domain strings "Eligible
countries for country-code TLDs"
https://www.iana.org/help/eligible-tlds
[30] ネットワークを構成するコンピュータやルーターなどの各要素のことをノードと呼び、 それぞれのノードに付けられる名前をノード名と呼びます。
[31] https://www.nic.ad.jp/ja/tech/glos-ij.html#02-JUNET
[32] JUNET利用の手引作成委員会, 「JUNET利用の手引(第1版)」, pp.118, 1988年2月
[33] Unix-to-Unix CoPyに由来する、 Unixまたはそれに準拠したシステム間におけるファイル転送やコマンドの遠隔実行のためのプロトコルです。 開発当初から公衆回線によるダイアルアップ接続をサポートしており、 1980年代に米国USENETや欧州のEUnet、 日本のJUNETなどで広く利用されました。
[34] 当時JUNETにおいて標準的に利用されていた、 電子メールの配送ルールから設定用ファイル(sendmail.cf)を生成するためのソフトウェアです。
[35] 村井純・田中啓介, 「JUNETの名前管理」, 情報処理学会第31回全国大会予稿集(II), pp.875-876, 1985年9月
[36] 当時、 日本以外のUUCPベースのネットワークでは“user@host.UUCP”や“host1!host2!host3!user”といった、 ドメイン名形式ではない電子メールアドレスが主流でした。
[37] J. Postel, "Assigned numbers", RFC 820, January 1983
http://www.ietf.org/rfc/rfc830.txt
[38] IANA Report on Request for Redelegation of the .jp
Top-Level Domain
http://www.iana.org/reports/2002/jp-report-08feb02.html
[39] 東田幸樹, 「BITNETの開通からInternetへの道, BITNETJP 10年の歩み」, pp. 32, 1996年
[40] WIDEプロジェクト, 「WIDEプロジェクト研究報告書 1989」,
pp.21-22,1990年3月
http://www.wide.ad.jp/project/document/reports/pdf1989/part2.pdf
[41] AUP 【 Acceptable Use Policy 】
http://e-words.jp/w/AUP.html
[42] WIDEプロジェクト, 「WIDEプロジェクト研究報告書 1992」,
pp.86,1993年3月
http://www.wide.ad.jp/project/document/reports/pdf1992/part5.pdf
[43] 「JUNETとfjの記念碑 - Monuments of Junet and fj
newsgroups」
http://katsu.watanabe.name/doc/monument_junetfj.html
[44] 村井純, 「インターネット 歴史の一幕:JNICからJPNICへ、
そしてAPNICの設立 〜平原正樹さんとの思い出」,
JPNICニュースレター No.40, 2008年11月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No40/0320.html
[45] 高田宏章・平原正樹, 「国内のIPインターネットの運用 - JNICとJEPG-",-",-」,-", 東京大学大型計算機センター年報 No.23, pp.27-32, 1993年9月
[46] 平原正樹・高田宏章, 「国内IPインターネットの運用管理とJCRNの活動」, JCRNセミナー 学術研究とネットワーク, pp.57-58, 1992年3月
[47] 尾上淳, 「インターネット 歴史の一幕:3系列のDNS」,
JPNICニュースレター No.51, 2012年8月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No51/0320.html
[48] 平原正樹・高田宏章, 「国内IPインターネットの運用管理とJCRNの活動」, JCRNセミナー 学術研究とネットワーク, pp.59, 1992年3月
[49] J.K. Reynolds, J. Postel, "Assigned numbers", RFC 990,
November 1986
http://www.ietf.org/rfc/rfc990.txt
[50] S. Romano, M.K. Stahl, "Internet numbers", RFC 1020,
November 1987
http://www.ietf.org/rfc/rfc1020.txt
[51] Regional Internet Registry; RIR、アールアイアール
https://www.nic.ad.jp/ja/tech/glos-ta.html#14-tiikirejisutori
[52] RIPE NCC、ライプエヌシーシー
http://www.ripe.net/
[53] S. Romano, M.K. Stahl, M. Recker, "Internet numbers", RFC
1117, August 1989
http://www.ietf.org/rfc/rfc1117.txt
[54] WIDEプロジェクト, 「WIDEプロジェクト研究報告書 1991」,
pp.37, 1992年3月
http://www.wide.ad.jp/project/document/reports/pdf1991/part3.pdf
[55] 第5回JPNIC運営委員会,「DNS管理グループ作業報告」,
1994年1月
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/committee/1994/0121/shiryou-2-4-1.html
[56] 平原正樹・高田宏章, 「国内IPインターネットの運用管理とJCRNの活動」, JCRNセミナー 学術研究とネットワーク, pp.60-61, 1992年3月
[57] 村井純・平原正樹・中山雅哉, 「JPNICの活動とAPNIC」, IP Meeting '93, pp.4, 1993年12月
[58] 「日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)の設立(設立趣意)」
https://www.nic.ad.jp/doc/jpnic-00652.html
[59] 「J」だけではJで始まる他の国(ヨルダンやジャマイカ)と区別がつかなくなるおそれがある旨が、 文献「JPNICの活動とAPNIC」に記載されています。
[60] CCITT(現、ITU-T)により規定された、 公衆パケット交換網のための通信規格。