- + はじめに
- + 第1章 資源管理とレジストリ
- + 第2章 JNIC発足前の資源管理とJPNICの設立
- + 第3章 JPNICによる資源管理への本格的な体制整備
- + 第4章 ドメイン名における資源管理方針の変遷
- + 第5章 本格的インターネット時代のIPアドレスポリシー
- + 第6章 グローバルなIPアドレス管理体制の確立へ
- + 第7章 ICANNによるグローバルなドメイン名管理体制
- + 第8章 汎用JPドメイン名とJPRSの設立
- + 第9章 登録情報の「公開」と「開示」
- + 第10章 IPv4アドレス在庫枯渇とIPv6
- + 付録1:IPアドレスとドメイン名の説明
- + 付録2:インターネット資源管理の変遷
- + 歴史編纂チームについて
- + 修正履歴
第3章 JPNICによる資源管理への本格的な体制整備
ボランティアからサービスへ − JPNICは拡大するインターネットの中で、 安定性と継続性を高めていくための組織のあり方を常に議論し続けていました。 これが、 会員・会費制度や料金制度の改革による財政基盤の安定化の努力と、 JNICからJPNICへ、 そして社団法人へという組織形態の変化につながっていきます。
インターネットコミュニティの中心
任意団体JPNICとして改めて組織化され、 予算基盤を持って活動できるようになったといっても、 その予算は最低限の事務処理に充てられていて、 活動の大部分は運営委員や検討部会のメンバーといった、 日本のインターネットのために時間を惜しみなく捧げた、 多くのインターネットパイオニアのボランティア的な活動に支えられたのが実情でした。
日本のインターネット黎明期、 インターネットは誰かに提供されるものではなく、自分たちで作り、 動かすものでした。 まだ誰もネットワーク技術の専門家ではなく、 それぞれ自分の活動領域を持つ人々が、 インターネットを便利だと感じ、 これを多くの人たちと共有したいという思いから集まりました。 利用者であるとともに、 利用環境を維持・発展させるための運営者でもあったのです。
任意団体JPNICでは、 最高意思決定機関として全会員の参加による総会と、 総会において選出された理事会があり、 組織運営の実際の現場は理事会から任命された「運営委員会」が担っていました。 さらに、分野ごとの課題検討のために、 運営委員会の下に「検討部会」が設けられました。
この、総会、理事会、運営委員会、検討部会という体制は、 この後JPNICの基本的な体制構造として長く機能することになります。
1993年4月9日に開催された、 JPNICの第1回理事会[61]において、 慶應義塾大学の村井純氏は次のような説明を行いました。
理事会はエキスパート集団としての運営委員会に対してディスカッションをよりよいものにしていくための知識ベースとなるようなアイディアの提供をしていただきたいことと、 運営委員会で議論された最終結果に対しての決定権を持っていることのご認識をいただくとともに運営にたいしてのお力添えをいただきたい。
--- 第1回JPNIC理事会議事録
JPNICが組織として機能するために、 JPNICに参加したネットワーク運営組織それぞれの代表が理事となり、 専門性を持ってJPNICの方向性を議論する人材が運営委員となり、 検討課題を解決するための議論ができる人材が検討部会メンバーとなりました。
この第1回理事会において、 村井氏が初代センター長(後に理事長)に選ばれました。 村井氏はこの後2006年に後藤滋樹氏に引き継ぐまで、 JPNICの理事長を務めることになります。
また、 1993年5月29日に開催された第1回運営委員会[62]において、 JNIC時代から活動を取りまとめてきた九州大学の平原正樹氏が初代運営委員長に選ばれ、 事務局長には、 1993年6月16日に東京大学大型計算機センターに着任した中山雅哉氏が任命されました。
運営委員会や検討部会の会議は毎回長時間に及び、 昼間の会議が深夜・明け方まで続くことも多くありました。 もちろん、 解決しなければならない課題が多かったということもありましたが、 それに取り組むメンバーの熱意がそれを可能にしていました。
そして、JPNICのこの組織運営の形は、 この後約10年間続くことになります。 JPNICの専任職員は事務局機能を担当し、 検討のためには外部の力を借りるという方法は、 結果として多くのインターネット関係者をJPNICに集めることとなり、 そしてこの人のつながりがJPNICの強みとなり、 日本のインターネットの発展を支えていくこととなったのです。
作業/検討部会名 | 役割 |
---|---|
DOM | JPドメイン名登録 |
IP | IPアドレス割り当て |
DB-IN | ネットワーク関連情報の収集 |
DB-OUT | ネットワーク関連情報の提供 |
DNS | ネームサーバ管理 |
PUB | 広報 |
RES | JPNIC運用資源の管理 |
SOC | 社会的課題の検討 |
FUTURE | JPNICの将来体制の検討 |
CHARGE | JPNIC経費負担方式の検討 |
RULE | JPNIC規定・細則の検討 |
APNIC | アジア・パシフィックNICの検討 |
Network Information Centerとしての情報発信
JPNIC設立から1年後の1994年4月、 JPNICニュースレター[63]の第1号が発行されました。 JPNICはネットワークインフォメーションセンターとして、 ネットワーク運用のための情報公開・発信に積極的であり、 IPアドレスやドメイン名の管理に関する情報や、 さまざまなトピックスをこのニュースレターに掲載しました。 以来、毎年3号のペースで発行を続け、 2014年8月時点では57号となっています。
また、 会議資料や統計データなどはFTPやGopherで公開されていましたが、 1994年7月にWebサイトがオープンし、 より便利に利用できるようになりました。
当時はまだ、ネットワーク構築の初期にありました。 多くの人がコンピュータネットワークの可能性に興味を持ち、 ネットワークに参加したいと思う中で、 ネットワーク構築に必要な技術的な情報やノウハウなどを得ることが難しい状況でもありました。
今のようにインターネット上に情報があふれ、 検索すればどんな情報でも得ることができる、 という時代とは大きく異なる状況の中、 JPNICは「ネットワークインフォメーションセンター」として、 ネットワーク構築の先駆者たちが持つ知識やノウハウを、 積極的に発信することを大きなミッションと位置付けていたのです。
コラム:JPNICのロゴマーク
JPNICのロゴマークは、 1993年9月17日の第3回運営委員会[64]で採用が報告され、 以降現在に至るまで基本的なデザインを変えることなく使われ続けています。 これは当時の運営委員の神山一恵氏のデザインによるものでした。
手数料制度と業務委任会員
JNIC時代から大きな課題であり続けたのは、安定した組織基盤、 それを支えるための財政基盤でした。 まだまだ研究ネットワークだったインターネットも、 将来的には商業化され、一般社会へと普及していくだろうことを、 多くの関係者が予想していました。 そして、 基盤業務であるIPアドレスやドメイン名の管理の安定性・継続性が、 これまでとは比較にならないほど重要になっていくことも明らかでした。 このためには、ボランティア的運営から脱却し、 IPアドレス・ドメイン名の登録者負担による財政基盤を確立することが必要でした。
こうしたJNIC時代の議論の結果は、 ネットワークプロジェクト(インターネットプロバイダー、 今で言うところのISP)を会員とする「会員組織JPNICへの改組」という形で、 1993年4月にその一部が実現しました。
1993年の改組当時のJPNICの会費制度がどのような経緯を経て形作られたかが、 CHARGE WGの資料[65][66]で語られています。
各会員への参加組織数に応じた会費が設定されていましたが、 特徴的なのは、 タイプAとタイプBという二つの会費体系があったことです。 Aはアカデミックネットワークに適用され、 Bはそれ以外の商用ネットワークなどに適用されました。 AとBの会費は1:5の金額比となっていましたが、これは、 アカデミックネットワークはボランティアベースで、 JPNICに人的貢献をしているという考えによるものでした。
この後、JPNICの拡大と商業ネットワークの広がりの中で、 会費制度の見直しの議論は、JPNICの収支全体の構造議論へと発展し、 CHARGE WGはFINANCE WGとなり、会費と手数料という二つの収入で、 JPNICの運営コストを賄うという方向で検討が行われました[67]。
新しい会費制度では、タイプAとBという区別は無くして、 各インターネットプロバイダーは、 自分が管理するJPドメイン名の数に応じた会費を負担するようになりました。 この仕組みは、 現在のドメイン名登録更新料(維持料)とほぼ同等なものです。
そして、申請手数料は、 ドメイン名で言えば新規登録料にあたるものです。 また同時に、 申請手続きと料金支払を代行・集約するための仕組みとして「業務委任会員制度」が導入されました。 これは後の指定事業者制度の原型であり、 gTLDにおけるレジストリ・レジストラモデルの構築に大きく先行するものでした。
無料であった状態から新しい費用制度を導入するためには、 関係者の十分な理解を得ることが必要です。 FINANCE WGでは、会員だけでなく、幅広い議論を行い、 その内容を公開しました。 無料であったものが有料になることには、 当然のように反対意見も出ましたが、 議論の中でその必要性を根気強く説明し、 徐々に理解を得ていきました。 その結果、 IPアドレスとJPドメイン名の申請手数料と業務委任会員制度は1995年6月に導入されました。 これが先行事例となり、以後、同年9月の.com、.net、 .orgの登録申請有料化をはじめ、 世界中にこのモデルが広がっていくこととなりました。
JPNICが、人材基盤だけでなく、 財政基盤をもインターネットコミュニティ自身に持ったことは、 JPNICがインターネットコミュニティによる組織であることをより強く色付け、 後に社団法人となった際にも、 資金や運営はコミュニティによってサポートされ、 特定の企業や国や自治体に依存しない、 中立で独立した立場を築く土台ともなりました。
業務拡大に伴うオフィスの移転
1995年12月、安定した財務基盤を得たJPNICは、 それまで間借りしていた東京大学の研究室から、 115平方メートルの広さに職員10人分の席と定員10人の会議室を備えた、 神田駿河台のオフィス(萬水ビル)へと引っ越すことになりました[68]。 組織として自立し、 業務量も増える中でJPNICとして専任の職員を増やして安定したサービスを提供することができるようになっていきました。
その後、TCP/IPを標準サポートしたWindows 95の発売や、 相次ぐプロバイダーサービスへの参入など、 インターネットは90年代後半に急成長し、これとともに、 IPアドレスの割り振り要求は増え続け、 JPドメイン名の登録数も毎年2倍の勢いで伸び続けていきました。
1998年2月、JPNICは手狭になった萬水ビルから、 神田小川町の風雲堂ビルへ、 2回目の引っ越しを行うことになりました[69][70]。 風雲堂ビルは、会員の来訪に便利な小川町と淡路町、 新御茶ノ水の3駅が利用でき、 大手町と秋葉原も徒歩圏内という立地で、 今後のさらなる組織拡大に備えて、 スペース的にも余裕を持ったオフィスでした。
しかし、最初は空き席の方が多かったこのオフィスも、 すぐにその余裕はなくなってしまいました。 JPNICとしては「5年先まで見越した」引っ越しでしたが、 風雲堂ビルの3階に入居した後、2階、 1階と利用フロアを増やしていくことになります。
社団法人JPNICに
組織のあり方としては、任意団体JPNICの設立直後から、 法人化の検討が始まっていました。
IPアドレスやドメイン名の管理という手続きがボランティアによって提供される規模で、 その提供先も研究者など個人ベースだった頃には、 任意団体であってもあまり大きな問題はなかったのですが、 これがサービスとしてルールの下で責任を持って提供されるようになり、 その相手も商用インターネットプロバイダーなど企業が増えてくると、 契約による関係構築の際に法人組織であることが強く求められるようになりました。 それだけでなく、会費を扱う財務処理、システム開発への投資などを、 任意団体の代表者を務める個人の責任に帰するには、 JPNICは大きくなりすぎていました。
組織の形としては、 公益法人である社団法人を選択することになりましたが、 ここで議論となったことの一つに、 監督官庁をどうするのかということがありました。 公益法人には一つ以上の監督官庁が必要でしたが、 インターネットはこれからの社会基盤となるものであって、 特定の官庁の範囲にとどまるものではありませんでした。
1995年10月17日のJPNIC理事会[71][72]において、 当時電気通信行政を所管する郵政省、 情報通信産業の振興・発展を所管する通商産業省、 学術研究と教育を所管する文部省、 科学技術の振興を所管する科学技術庁の4省庁の共管という珍しい形を目指し、 JPNICの社団法人化の検討を進めることになりました。 当初、郵政省だけは共管に反対していましたが、 その後、4省庁共管で合意がなされ、 中でも郵政省が主となってJPNICとの関係を維持するということになりました。
社団法人の設立に向けた協議・調整は困難を極めましたが、 1997年3月11日、社団法人JPNICの設立総会が行われ、 3月31日に社団法人設立許可証を受領することができました[73][74][75]。 JPNICの設立目的は、 社団法人となった時点から一般社団法人へと移行した現在に至るまで変わることなく定款に書かれており、 JPNICの意志を示しています。
この法人は、 コンピュータネットワークの円滑な利用のための研究及び方針策定などを通じて、 ネットワークコミュニティの健全な発展を目指し、 学術研究・教育及び科学技術の振興、 並びに情報通信及び産業の発展に資することにより、 我が国経済社会の発展と国民生活の向上に寄与することを目的とする。
--- 社団法人JPNIC定款
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[61] 第1回JPNIC理事会議事録(1993年4月9日)
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/board/19930409/minutes.html
[62] 第1回JPNIC運営委員会議事録(1993年5月29日)
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/committee/1993/0529/minutes.html
[63] JPNICニュースレターバックナンバー
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/backnumber.html
[64] 第3回JPNIC運営委員会(1993年9月17日), 資料4-3「JPNICロゴ」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/committee/1993/0917/shiryou-4-3.pdf
[65] 第3回JPNIC運営委員会(1993年9月17日), 資料2-7「CHARGE WG資料」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/committee/1993/0917/shiryou-2-7.html
[66] 第7回JPNIC運営委員会(1994年4月5日), 資料6, FINANCE-WG資料「1995年度以降のJPNIC会費に関する検討」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/committee/1994/0405/shiryou-6.pdf
[67] 第10回JPNIC運営委員会(1994年9月13日), 資料2-5, FINANCE WG資料「95年度以後の会費制度について --案とオフラインミーティング報告--」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/committee/1994/0913/shiryou-2-5.html
第4回JPNIC理事会(1994年10月19日), 資料2「96年度以降の会費制度案--95年度の移行措置」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/board/19941019/shiryou2.html
第4回JPNIC総会(1995年5月12日), 資料4「FINANCE-WG検討結果報告(概要)」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/general-meeting/19950512/shiryou4.html
[68] 「新事務所について」, JPNICニュースレター No.5, 1996年3月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No5/2-2.html
[69] 「JPNIC事務所移転のお知らせ」(1998/01/20)
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/1998/19980120-01.html
[70] 「事務局の移転等について」, JPNICニュースレター No.11, 1998年3月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No11/2-5.html
[71] 第8回JPNIC理事会(1995年10月17日), 理事会議事要録(案)
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/board/19951017/minutes.html
[72] 第7回JPNIC理事会(1995年10月4日), 資料5-1 「JPNICの公益法人化について」
https://www.nic.ad.jp/ja/materials/board/19951004/shiryou5-1.html
[73] 「JPNIC法人化について」, JPNICニュースレター No.7, 1996年11月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No7/2-3.html
[74] 「社団法人化の経緯」, JPNICニュースレター No.8, 1997年3月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No8/sec021.html
[75] 「JPNIC の社団法人化について」, JPNICニュースレター No.9, 1997年7月
https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No9/2-2.html