◆◆【 3 】News & Views Column ◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇ 日本人の果たせる国際リーダーシップとは? JPNIC 評議委員会リエゾンメンバー 荒野 高志氏(ICANN/(株)インテック・ネットコア) 本稿が配信される頃にはワールドカップ熱は一段落ついているだろうか。世界 での日本チームの活躍はまさに歴史的であった。IPv6も今まで欧米中心だった インターネットの世界に日本の存在感を知らしめるに十分な活動を行っている。 インプリメンテーションではKameプロジェクト(*1)のコードは世界的に評価さ れ、IPv6の普及を推し進めた。 今、アドレスポリシーの分野でも、日本発の提案が世界標準となることが決まっ た。2001年8月のAPNIC台湾ミーティングを皮切りに、足掛け10ヶ月をかけて、 2002年3月から4月にかけての一連のRIRの会議(3月バンコクでAPNIC、4月ラス ベガスARIN、同月アムステルダムRIPE)において、その基本アイデアのすべて の点についてコンセンサスが得られたのだ。7/1から施行されている最終版ド キュメントには原案を書き上げた7名の日本人の名が謝辞として記載されてい る。 ワールドカップと違うのは、競い合うというよりは徹底した国際協調を行った ことであろう。日本の原案に世界中の人々の意見を取り入れ、融合し、ある意 味で「よい妥協」を行い、今の最終版ドラフトは作成された。また、ポリシー 策定推進に当たっては、各地域から選出されたエディトリアルグループが結成 された。このグループは、単にドラフトの編集を行うだけのものではなかった。 途中、ヨーロッパではアドレスは半無限であり潤沢に割り振ろうというリベラ ルなポリシーが、一方、米国ではIPv4の失敗は繰り返すなという保守的な意見 がそれぞれ大勢を占め、このギャップを短期で埋めるのは困難であるように思 えた。さらにISPでの商用化の段階に入っている日本の立場としては速やかな ポリシー策定を望んでおり、まさに三すくみというような状況であった。こん な中、エディトリアルグループはグローバルメーリングリストや会議における 提案、さまざまな意見の調整・取りまとめなど、強力な推進役となった。確か に最初は日本の提案であったが、最終的には世界中の協力プロジェクトになっ ていたともいえる。 リーダーシップとは何もみんなを議論でねじふせて、従わせることではないと 私は思う。欧米人同士がやり合う激論に所詮は私のような平均的日本人は入り 込めない。こういうところやコンセンサスをとっていく戦略的な進め方は素直 に欧米人の「仲間」にまかせた(まかせるしかなかった :-)。その代わり、最 初の問題提起、前に進むための妥協案の作成、ドラフト案などは日本チームの 仕事であった。バンコクのAPNIC会議では、IPv6エディトリアルチームの功績 をたたえてということで、APNICからワインが贈られた。同時期に別提案とし て走りはじめたIPv4アドレス改定プロジェクトはいまだにドラフトどころか論 点も抽出できていないことを考えると、われわれの「リーダーシップ」が確か に歴史に足跡を残したということなのだろうし、それを評価したものなのだろ う。確かに、野球のイチローのようにすべて自らの力で勝ち取ったものとはだ いぶ違う泥臭いやり方ではあるが、普通の日本人が日本人としてできる最良の リーダシップの発揮の仕方だったのだろうと自負している。 (*1) Kameプロジェクト IPv6、IPsecあるいは高度なネットワーク技術に関する参照コードをBSD系のOS 上で実現するためのプロジェクト