◆◆【 3 】News & Views Column ◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇ 常時接続への道 JPNICドメイン名検討委員会委員長/NTTコミュニケーションズ(株) 岡田雅也 私のインターネットとの出会いは、NTT1社時代の1994年に電話事業からマルチ メディア事業への本格的な取り組みを行うため、お客様と共同利用実験を始め たときでした。当時のマルチメディア通信はATMで実現するB-ISDNというISDN の延長にある概念が強く、実験網では45Mbps、150Mbps等の高速なATM通信網を 提供するものでした。しかし、WWWサーバが扱われてきた時期でもあったため、 TCP/IPベースのIP通信網実験を急遽追加し、IPアドレス・ドメイン名の申請の ために、JPNICの門を叩くことになったわけです。以来、今日に至るまで、ISP 事業として深くJPNICにお世話になっています。 マルチメディア通信の本格時代におけるサービスコンセプトは、すべてにLAN 環境を提供する「情報コンセント」の実現でした。しかし、当時の専用線は非 常に高価でしたので、アクセス系の開発や工夫を行い、1996年に従来の専用線 接続料金の1/10で実現できる128kbpsのエコノミーインターネット接続サービ スを提供することができました。これにより、SOHO向けに常時接続の環境を提 供する下地ができたわけです。また、ちょうどそのときにJPNICで実験を始め ていたサブアロケーションを適用しました。 しかし、まだまだ個人にはダイヤルアップ接続しかなく、従量制課金方式が一 般的でした。電話のメタリック線は常時つなぎっ放しのはずなのに。そこで次 に取り組んだのがADSLです。ADSL実験は好評でしたが、128kbpsが月数万円も するなかで、数Mクラスまで出るADSLが単純には安価になりませんでした。し かし、MDF開放論も加わり、NTTも再編されアクセス事業者との競争が、ISP事 業者にはよい結果をもたらしてくれました。企業向けより個人向けとしてADSL 料金が1万円を切ったのです。これにより、家庭においても、時間を気にする ことなく、自由に利用できるブロードバンド環境が整ったわけです。これは、 今までの電話利用からは想像できないことでした。今やトイレに行くにも、TV を見ながらも、PCはネットに高速(~12Mbps)で接続されたままで、ほんとに 使いやすい「情報コンセント」になったのです。もちろん、我々は、大規模な アドレス申請に大変な作業となってきているのも事実です。 さらに、現在は光アクセスにも手が届きやすくなっています。1990年頃に私が FTTHの開発で取り組んでいたときの状況や、1996年にNTT研究所が2005年には 10Mbps月1万円を目標に開発すると言っていたことを考えると、現在のFTTH (~100Mbps)の市場投入は、信じられない状況です。 モバイル、CATV、ADSL、FTTH等のアクセス形態の多様化や、VoIP等サービスの 多様性への展開が今後も急速に進んでいくことでしょう。便利さゆえに、セキュ リティ等新たな課題も増えてきます。このような時代の変化の激しさに、イン ターネット業界としてのポリシーメーキングも追従していくことが必要であり、 JPNICがよりグローバルな観点を持ちながら、日本特有の大きな変化に対応で きるためのボトムアップ活動が、これからも重要だと思います。そしてそれは 提供者だけでなく、利用者側からの支えも必要なのではないでしょうか。