━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【 3 】News & Views Column 「五箇条の御誓文」 JPNIC CAとアプリケーション専門家チームメンバー 近畿大学産業理工学部教授 山崎重一郎 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ポリシーってなに?」という話です。企業から大学に職場が移ったとたんに、 電算機センター長なる役職を与えられて、大学のネットワークの責任者の立場 になってしまいました。僕を宛先にして音楽著作権関係の団体から「しっかり 管理してね」というお手紙が来たり、2005年4月から個人情報保護法が施行さ れると最悪の場合6ヶ月の懲役刑を受けるのが僕だということなので、大学の ネットワークの利用方法だとか運用方法だとかに真剣に取り組まなければなら なくなりました。 大学でも企業でも、インターネットが普通の生活基盤になるにつれて、内部の 人間のボランタリーなシャドーワーク(*)で維持するのは限界にきて、きっぱ り外部委託するという形が主流になりつつあります。そうなると下のレイヤは とりあえず目の前からは消えていくのですが、それでも運用に関する責任が消 えるわけではありません。むしろ情報化が進むにしたがって責任の中身は複雑 で重くなってきています。 それで僕みたいな立場の人はなにをするかというと、やっぱりまず組織として のネットワーク利用方法だとか情報の管理方法だとかのルールをきちんと作ろ うよなどと言い出すわけです。ルールと言っても憲法みたいな基本方針を定め るものから、罰則などを含んだもっと細かいものもありますが、やっぱり憲法 みたいなもの、つまりポリシーから作っていくでしょう。ですがそういう作業 をやっているうちに「うーむ、こんなポリシーを作っても、本当にちゃんと実 施できるのかなあ」という疑問にすぐにぶち当たります。 サイバー法で著名なレッシグ教授は、法律(コード)とそれが施行される社会 の関係をコンピュータのソフト(コード)とそれを実行するアーキテクチャに 例えています。実際問題、ルールだけつくってもそれを実施する組織がルール に従がってうまく動くように機能していなければ、ルールは何の役にもたちま せん。違うアーキテクチャのコンピュータでプログラムのコードが動かないの と同じです。そうなると、組織をネットワーク社会対応にするために、組織の アーキテクチャそのものから根本的に考え直さないといけなくなります。そう、 明治維新のときみたいに。 五箇条の御誓文は、大政奉還の翌年に、これからの日本はこういうグランドデ ザインでいきますという宣言でした。これに基づいて内閣とか国会とかという アーキテクチャや大日本国憲法というコードができたわけです。大したもので すね。知恵があります。じゃあ、僕が情報化に対応した大学組織というものの グランドデザインとなる五箇条の御誓文を作っていいのだろうか。絶対だめだ と思います。五箇条の御誓文は、天皇が神様に宣誓する詔だったわけで、僕な んかが勝手にこんなものを作ったりすると、すぐに不平士族の反乱が勃発する でしょう。どなたか神様になってくれませんか。 (*) シャドーワーク:人間生活に必要不可欠のものでありながら、家事労働の ように賃金の支払いを受けない労働