ニュースレターNo.27/2004年7月発行
巻頭言:IPv6、地域での展開
財団法人インターネット協会(IAjapan)副理事長 IPv6ディプロイメント委員会委員長/高橋 徹氏
2000年12月のGlobal IPv6 Summit大阪以来、財団法人インターネット協会(IAjapan)では、IPv6ディプロイメント委員会を組織してIPv6の普及促進を図り、その高度化に務めてきました。IPv6普及・高度化推進協議会ができてからは、一緒に協力し合ってJPNICとともに活動を展開しています。IPv6が単なる実験ではなく、リアルな現実のソリューションであることが共通の認識になり、技術の知識であることにとどまらない、製品群をたくわえた産業の創造につながるビジネスシーンを生み出しています。
2003年度から、地域の情報化にIPv6が役立つと考え、札幌を皮切りに仙台、北九州、京都とIPv6地域サミットを続けてきました。参加人数は150名から200名を超える程度ですが、議論の盛り上がりは予期したものを超えて目覚しいありさまです。地域の医療に、遠隔教育などに、これまでの各地で培われた経験知がIPv6という道具を使って新しい局面を開いているという印象です。地域の活性化がIPv6の技術によって大きな成果を生み出すことは疑うべくもありません。
プログラムは地域によって異なりますが、チュートリアル・セミナーでIPv6の概要と現在の様相を語り、今後の可能性について基調講演があり、地元の方々を交えたパネルディスカッションで終わる半日のコースです。講演者は、山口英氏、江崎浩氏、中村修氏、中村秀治氏というおなじみの協議会幹部、荒野高志氏、新善文氏、藤崎智宏氏などのIPv6ディプロイメント委員会の中心人物が並びます。それだけではなく、地元企業や大学からも出ていただいています。終わったあとの懇親会が毎回にぎやかで、地元の味わいの酒肴を囲んで、本音の話し合いができる機会をもつ貴重な時を過ごしてきました。
2004年6月8日、近代日本の矛盾を集約的に体現している沖縄県でIPv6サミットを開催しました。沖縄は明治国家の「琉球処分」によって日本国に組み入れられてきましたが、薩摩藩島津勢の琉球侵入の前から中国の朝廷に服属し、冊封体制にあって東南アジアと東北アジアとの接点で盛んに交易を行い、多義的な重層構造を持った政治社会と文化を醸成していたことが知られています。私には、沖縄が日本とアジアとの関係構造を見直すための歴史的根拠を与えてくれているように思われます。
沖縄でIPv6を展開することは、沖縄の現在置かれた状況を変えることを意味しています。IPv6はいわばグローバル・スタンダードであり、近代国家の枠組みと衝突する側面を持っています。その衝突を変革のベクトルで生かす可能性を模索できるのではないかと思います。沖縄に即して考えると、琉球王国の盛期に交易で栄えた記憶を、最新のネットワーク技術を駆使した交易によみがえらせる可能性があるはずだということです。沖縄の歴史で誇れるのは、被差別民とやくざを生まなかったことであるといいます(芥川賞作家で、沖縄県立博物館元館長の大城立裕氏による)。そういう素朴な優しさに満ちた特性を持つ沖縄が、太平洋戦争で米軍の砲火にさらされ、戦争の悲惨さを極限まで味わい、米軍の統治下に置かれることで、日本国の犠牲になった歴史が今に至るまで続いています。それをIPv6ベースのICT技術を核にして、変えることはできないものかと私は考えます。
2004年5月6日、岡山IPv6コンソーシアムが設立されました。2005年の岡山国体はv6国体にするんだという倉敷芸術科学大学の小林和真氏の声が聞こえてきたりしました。これらの動向の重なりは、地域でのIPv6活用に新風を巻きおこすことになるでしょう。岡山や静岡でも、2004年度中にIPv6地域サミットを展開することになるようです。これらの展開に、IPv6という技術が「思想」となる、その契機を私たちは見ているようです。インターネットは技術から思想になった歴史を持っています。同様に、IPv6という技術から思想が生まれてくる契機がそこにあると考えます。
地域の産業が、教育が、最新の情報通信技術の実りを取り入れて、地域の豊かな未来に向かう展望をはらんでいます。それは沖縄で言うと、かつての琉球王国のもつ通商の輝き以上の輝きをもって、アジアへの熱いまなざしをきらめかせる可能性です。それをもって日本のIT戦略の先端に位置づけられることを、さらには国際貢献の一翼として展開されることを期待してやみません。
IAjapanでは、地域のIPv6サミットの展開を常時受け付けて検討しています。詳細は、
http://www.iajapan.org/ipv6/summit/
をご覧ください。
1964年3月、東北大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。1993年12月、日本インターネット協会設立とともに事務局長。1994年12月、東京インターネット設立、社長、のち会長。1997年4月より2002年5月まで、JPNIC理事。1997年12月より2000年6月まで、日本インターネット協会会長。2000年、INET2000横浜大会共同議長。2月、インターネット戦略研究所を設立、代表取締役会長(現職)。4月より、多摩美術大学情報デザイン学科教授(2002年3月まで。現、非常勤講師)。2001年7月、財団法人インターネット協会設立とともに副理事長となる。2002年からNetWorld+Interop実行委員会委員長。