ニュースレターNo.32/2006年3月発行
インターネット 歴史の一幕:
BITNETJPとWIDEの相互接続、そしてJOIN
株式会社日本レジストリサービス(JPRS)代表取締役社長◎東田幸樹
BITNET(Because It's Time Network)をご存知でしょうか? 学術研究分野の情報交換を目的としたネットワークで、1981年7月にCUNY(ニューヨーク市立大学)とYALE(エール大学)のメインフレームを専用線で接続したのが始まりです。
私が最初にBITNETと関わったのは29歳の時、東京理科大学とCUNYを相互接続した際の日本側の技術責任者としてでした。最初にメッセージ交換できた85年4月30日のことは今でも鮮明に記憶に残っています。BITNETが提供したサービスは、電子メール、ファイル転送、チャット、メーリングリストしかなく、今思うといたってシンプルなものでしたが、その日以来私はネットワークの魅力にとりつかれ、今ではそれを生業にしています。
この時の専用回線の速度は9.6 kbps、料金は年額約3000万円でした。今聞くと信じられない遅さと高さです。しかし、当時の日本のネットワーク事情といえば、84年10月に公衆回線で接続するJUNETが始まった頃であり、その中で米国と専用回線で接続して、海外との電子メールが数秒のうちに送受信できるというのはとても衝撃的な体験でした。BITNETは当時の国内の若い研究者や技術者に影響を与え、その後の多くのネットワーク構築のきっかけになりました。
BITNETの日本国内のネットワークをBITNETJPと呼び、85年の東京理科大学の接続以降、次々と国内のメインフレームを接続、93年の最盛期で120以上の大学が参加していました。BITNETJPは東京理科大学の情報処理センターが中心となって運用しており、私も96年まで運用に携わっていました。
そしてこのBITNETJPでの仕事が、WIDEの村井純氏と知り合うきっかけとなりました。WIDEが進めていたインターネットも88年ごろから急速に広がりを見せ、BITNETJPとWIDEの電子メールを相互にやりとりする必要が出てきたのです。村井氏とお互いのネットワークについて初めて時間をかけて話したのは90年9月6日のことでした。この時の場所は日本IBM東京基礎研究所だったのですが、その後も大岡山のマクドナルドやラーメン屋でネットワークについて熱く語り、91年3月にお互いのネットワークを相互接続するに至りました。(我々二人が、後にJPNICというネットワーク関連の社団法人を設立し、そしてその理事長と副理事長を務めることになるとは、夢にも思いませんでしたが……)
一方この頃、9.6kbpsのBITNET JPはサービスの限界に来ていました。参加組織はまだ増え続けていましたが、私はインターネットへの移行を考え始めており、92年1月に米国との接続をTCP/IPに変更、同年7月にJOIN(Japan Organized Inter Network Association)のサービスを開始しました。WIDEやTISNなどのインターネットが既に構築されつつあった中で、後発とも言えるJOINが果たした一番大きな役割は、メインフレーム中心のネットワークで進んできた当時の大学経営者に「これからはインターネットの時代なんだ」ということを理解していただき、7年という長い歳月がかかったにせよ、BITNETJPからJOINへの移行を成し遂げたことだと思います。
BITNETJPは99年3月にすべてのサービスを停止しました。流れを引き継いだJOINも、商用プロバイダの広がりの中でその役割を終え、2006年3月末でその幕を下ろすと伺っています。活動に携わった関係者としては寂しくもあり、しかし時代の流れの中で求められた役割を十二分に果たすことができたという感慨も大きいものがあります。 またこの紙面をお借りし、BITNET JPの開始から数えると20年以上に渡り日本のネットワーク運用を支えていただいた東京理科大学と関係諸氏に感謝の意を表します。