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ニュースレターNo.38/2008年3月発行

インターネット歴史の一幕:
InetClub -最初の国際ISP-

JPNIC理事/サイバー大学教授 小西和憲

KDD研究所は1985年1月から1995年3月までの10年間、UNIXに標準実装されていたUUCPプロトコルを用いて、海外のインターネットとのメールやNetNewsを中継しました。この間の1987年5月から1994年12月まで、通信実費を回収するInetClub(正式名は国際科学技術通信網利用クラブ)を構成して、約350機関にサービスを提供、これらのユーザーを商用ISPへ引き継ぎました。しかし、民間企業であることから、社外にはボランティア活動と位置づけながら、社内では事業への貢献可能性を述べるという、二面性を維持し続けました。

筆者は、ITUでの国際標準化に参加した際、OSI標準化に参加している人たちが必ずしもコンピュータに詳しくないことを知りました。さらに、UNIX 4.2BSDにインターネットプロトコルが標準実装されるとの情報も得て、1983年から国際UNIX通信の研究を開始しました。UUCPプロトコルの解析等を進めるうちに、会社の特色を活かすには、直接、海外と接続する方が良いと考え、浅見徹氏が中心となり、1985年1月以降、米国、欧州、韓国等に接続を拡大しました。多くの場合は電話回線とモデムを使いましたが、一部にはX.25プロトコルを用いました。当時のメール通数は少なく、Net Newsが主なトラヒックでした。1985年5月にJUNETを推進していた村井純さんから相互接続を依頼され、通信料金はそれほど増えないということで、了承しました。

JUNETと相互接続してみると、メールの負担は少ないけれども、Net News取得の希望が増え、他の研究グループから予算をいただくお願いを繰り返しました。さらに、某有名教授が「タダでインターネットとメール交換できるようになりました」と、KDD役員にお礼を述べてくれたことから、騒ぎが起こりました。その役員は、自分の部下が「国際電信電話法」(KDD法)に違反する行為をしていると考え、直ちに、「事務系の支援が不可欠」と筆者に命じました。幸いにも、同期入社の友人が法務や計画部門の主要ポストに就いていたので相談したところ、いきなり、「君はやりたいのだろう?」と聞かれ、「はい」と答えると、「分かった」と協力を約束してくれました。そしてその数ヶ月後には、「実費を徴収する通信クラブを作れば、KDD法の問題はない」と公式回答を出してくれました。技術系役員が恐れた問題を、同期入社の若手管理者がいとも簡単に解決してくれたのです。

以後、課金システムの開発が課題となりましたが、以前行った、UUCPプロトコルの解析が役立ちました。これによりメール毎の通信時間と国際通信料金表から請求料金を計算することとなり、千葉和彦氏が中心となって1987年初めには課金システムが安定稼動するようになりました。また一方では、会社の法務およびサービス計画部門がInetClubの会則を作成してくれました。その際、会社が傷つかないよう、KDD研究所は運用・事務の実務を担当するが、著名な大学教授に会長に就任いただきました。つまり、相談の結果、石田晴久会長、村井純副会長(当時は共に東大)、小西総務担当理事(筆者)という体制が出来ました。

InetClubを運用し始めると、たちまち筆者以外の担当者は他部署へ異動させられましたが、当時庶務課にいた堀田孝男氏が参加してくれ、彼の甚大なる情熱で、何とかInetClubを維持し続けることができました。 実費回収を始めてみると、障害時にはすぐにクレームが来て、少ない要員での運用は容易でなく、電子メールによる情報検索サービス(ヘルプ、UUCPマップ、InetClub会員情報、送信メールのGW通過記録等)を開発し、運用を支えました。また、トラヒックが増えると、UNIX計算機は性能不足となり、他の研究プロジェクトで使わなくなった、より強力な計算機の借用と置換を繰り返しました。UUNETが廃棄した計算機のCPUカードを破格の値段で購入し、性能強化したこともあります。また、DECのOSであるUltrixにはバグが多かったし、モデムのハングアップに悩まされました。

1989年、WIDEやTISN等が国際専用線を超法規的に購入し、TCP/IPプロトコルによる国際インターネット接続が実現されると、国際電話網・モデムに依存せざるを得ないInetClubの劣勢は明白でした。しかし、KDD研究所が超法規的な扱いで国際専用線を入手することは不可能でした。また、InetClub会員でないメールを転送する際、警告メッセージを付加していましたが、これが国際問題化したこともあります。幸いにも、Vint Cerf氏が登場し、警告メッセージ文を添削してくれました。

しかし、国際専用線を利用できない以上、InetClubを発展的に解消することが最重要課題となりました。このための努力として(1)InetClubの商用化、(2)UUNET社への資本参加、(3)KDDの商用インターネットサービス開始、(4)KDD大手町ビルのハブ化、(5)IMnetの国際運用研究、等が挙げられます。幸いにも、(3)と(4)に貢献し、さらに、KDD研究所が(5)を受注できました。そして、無事1994年12月末にInetClubを解散、1995年3月には残金を会員に返却して、10年間にわたるInetClub関連活動の幕を閉じることができました。

最後に、(1)~(5)の展開活動に際しお世話になった関係者(Rick Adams氏、Vint Cerf氏、Bob Collet氏、 釜江常好先生、石田晴久先生、村井純さん、後藤滋樹さん、東京電力幹部等)に誌面を借りて謝意を表します。

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