ニュースレターNo.41/2009年3月発行
JPNIC会員企業紹介
「会員企業紹介」は、JPNIC会員の、興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介するコーナーです。
日本インターネットエクスチェンジ株式会社 | |
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所在地 : | 東京都千代田区大手町1-8-1KDDI大手町ビル19階 |
略 称 : | JPIX |
設 立 : | 1997年7月10日 |
URL : | http://www.jpix.ad.jp/ |
事業内容 : | インターネットエクスチェンジ事業 |
(2009年1月20日現在) |
対談3回目の今回は、日本で一番古くから商用IXを営む日本インターネットエクスチェンジ株式会社の代表取締役社長の石田慶樹氏に、不透明な時代におけるIXとしての事業展開、IPv4アドレス在庫枯渇問題をはじめとするインターネットで問題とされていることへの見解、また業界の流れも含め、幅広くお話を伺いました。
IPv4アドレス在庫枯渇を乗り越えるには、まわりの声を聞くことが必要ではないか
【プロフィール】 |
1988年東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻修士課程修了 |
1988年東京大学助手に採用 |
1994年九州大学講師に昇任 |
1998年メディアエクスチェンジ(株)入社 |
2005年(株)パワードコム入社 |
2006年合併によりKDDI (株)に所属 |
2006年日本インターネットエクスチェンジ(株)に出向 |
2007年より現職 |
IX事業への取り組みと今後のビジョンについて
■ まず、貴社の事業である、「インターネットエクスチェンジ(以後、IX)」とは何か、また会社設立の経緯について教えてください。
IXとは、インターネット上で、ISP、データセンター、学術ネットワークなどを接続する相互接続ポイントです。インターネットは基本的に、全てのネットワーク同士で相互接続する必要がありますが、全部を直接接続することは物理的にも費用的にも不可能です。そこでレイヤ2スイッチを用いて、各ISPなどのボーダールータを相互に接続し、トラフィック交換を行うIXが必要になります。
弊社は1997年7月に、ISPのコンソーシアム的に設立されました。当時、WIDEプロジェクトのNSPIXP2はあったのですが、ボランタリーな部分に依存していました。そこで、IX接続に対価を払ってサービスとして利用しても良いというユーザーが増えてきたこともあり、NSPIXP2の完全商用版が必要だというISPが集まって出資することによりJPIXが誕生したのです。当時の旗振り役は、KDDI株式会社(当時はKDD:国際電信電話株式会社)と株式会社インターネット総合研究所(IRI)で、その2社を中心に、そこにいろいろなISPが加わっていったという形です。
■ 石田社長は、過去に同じくIX事業を営むメディアエクスチェンジ株式会社(MEX)にいらっしゃったこともありますが、MEXとの事業の違いは何でしょうか。
MEXはスタートから、地方に足を伸ばすことを考えていたので、レイヤ2のIXではありません。レイヤ3IXという言い方もありますが、MPLS技術を使ったレイヤ2.5ぐらいの、広域なIXを目指していました。それに対して、JPIXが目指してきたのは、あくまでNSPIXP2の商用化という道です。
当時、IXへ接続するのはISPだけでしたが、ブロードバンド時代の到来以降、コンテンツ事業者やデータセンターも増えました。この時代を経て、アクセス網に対してコンテンツをいかに効率的につなげるか、また、逆にアクセス網がコンテンツにどうリーチするかということに、IXのあり方も変わってきています。また、日本のユーザーコンテンツに興味を持つ、海外の事業者にも来てもらえる状況になっていますね。
■ 貴社の事業継続にあたり、どの辺が一番のご苦労どころなのでしょうか。
やはり、スケールさせること、つまりどのようにトラフィックを捌いていくかという部分に一番注力しています。非常に多くのトラフィックを捌いているユーザーを100社以上抱えていますから、そういう人達に常に対応できるアーキテクチャを提供していく必要があります。
実は、こういうことを実現しているIXは、国際的に見ても100社程度しかありません。内容が先鋭的でありつつ、運用されている数も少ないために、技術的には十分に枯れているとは言えないものも利用しなければならないことが一番大変です。常に安定的にサービスを提供しないといけないため、社内と協力会社で機材の評価やテストなどを真剣にやっています。
■ そのようなIXが少ない理由は何ですか。
やはり、トラフィックが多い地域にしかありませんから。そういう意味でピークで100Gbpsを超えるようなところは、10社あるかどうかじゃないでしょうか。公開されているデータを見る限り、ヨーロッパに100Gbpsを超えるところが複数ありますが、アジアでは日本に複数あるぐらいでしょうか。そういう意味では、世界的にも日本は進んだ中に入っています。ただし、国によってインターネットの作りが違っており、多くの国ではキャリア(通信事業者)がISPを兼ねていることから、ISPの数自体が少ない状況です。それに対して、日本は300社程度のISPがあります。ISPが多いほどIXの重要性は増えてくるため、日本とそれ以外の国でのIXの持つ意味が違っているとは言えるでしょう。
■ 貴社のユーザー数は、どのように推移しているのでしょうか。
設立から5年ぐらいで急激に増えて、それ以降は、会社数という意味では横ばいからやや増えている状況です。事業者の合併やISP事業の譲渡などで減る部分と、新規顧客の加入で増える分が拮抗しているために、純増数としては微増ということです。ただし、ユーザー数は増えずとも、トラフィックは着実に増加しています。また、最近の傾向としては、業種としてコンテンツ系やCDN(Contents Distribution Network)系、地方のISP、ケーブルテレビが増えてきています。
■ そういえば、貴社は日本のIXで唯一、リアルタイムでトラフィックグラフを公開していますね。
はい。ヨーロッパを中心に多くのIXでは、どこもリアルタイムでグラフを出しているので、日本でもそういう情報をどんどん出していこうと。トラフィックの伸びを、リアルタイムに見て欲しいです。
面白いのは、急激に伸びる時期が1年~1年半おきにくるということです。今年に入ってから、また急激に伸びている時期に入っています。急激に伸びる時期と比較的安定する時期がある理由は実はよくわからないのですが、ユーザーによる機材の更新により、機器のポートなどがより高速なものに対応するようになって、より多くのトラフィックが流せるようになり、それでまずは増えるフェーズがあるのかなという感じがします。
トラフィックが増えてくると、それぞれの人がコストを抑えるために、トラフィックコントロールとプライベートピアを熱心にやるため、しばらくは安定するというフェーズがくる。その後また機器の増強などでトラフィックが増えてくると、トラフィックコントロールとプライベートピアで何とか頑張って抑えて落ち着く……ことの繰り返しかなと思っています。
■ ソフトバンクテレコム株式会社の「mpls ASSOCIO」との相互接続を始められたようですが、これによってもユーザー数などに変化があったのでしょうか。
ユーザーは少しずつですが、着実に増えてきています。地方のお客様をつなぐためのサービスであり、「東京まで専用線を引くほどではないんだけど」というお客様へ、IXへの接続を提供する選択肢となっていますね。
東京まで専用線を引くのが高くて、地元で高価なトランジットを買っていた人達にとって、比較的安価にIXのサービスが利用できます。その上、これまで利用していたルータなどの機材も地元に置いたままで使えます。
■ 今後、どういう展開をしていきたいと考えていますか。
IXとしてユーザー数を増やすためには、もっといろいろなISP事業者やCATV事業者に来て欲しいと考えています。コンテンツ業界はどこが伸びてくるのかはなかなか難しいですが、そういう中でも、自分達でAS番号を取って、独り立ちするようなコンテンツ事業者もいると思います。そういうところは、やはり取りこぼさないようにしていきたいです。さらには、海外系で日本のアニメやゲームなどをはじめとするさまざまなコンテンツに興味を持っている事業者に、メリットを訴え、取り込んでいくことが重要だと考えています。
また、以前はIXとしてはピアリングの話はノータッチでした。しかしこれだけ数が増えてくると、特にBGP接続を始めて間もないユーザーにとっては、個別にピアの交渉をしていくのは大変な作業です。そこで、お客様が個別に交渉をしなくても、一定の接続を確保できる、「経路交換サービス」を提供しています。海外、特にヨーロッパで多くの顧客数のあるところでは、こういうサービスは当たり前になっています。もちろん、個別にピアを管理したいお客様はこれまで通りなのですが、IXの付加サービスとして提供することで、より利便性を高めたいと考えています。
インターネット・DNSとの出会い~もはや他のシステムに代替できない~
■ ところで、石田社長が、この業界に入ることになったきっかけと今までの変遷を教えてください。
大学は機械系で、精密機械をやっていました。モノを作るためのモノを研究するという感じの分野です。そこで、CAD(Computer Aided Design) / CAM(Computer Aided Manufacturing)やロボットといった観点から、コンピュータに触れていました。そこで工学部のLAN運用に関わり、また、全学ネット(UTnet)をやってみないかという話になりました。その頃は、東大で助手をしていたのですが、面白そうだと、その方面に移ることになったのがきっかけです。
当時は、分散協調して動くようなシステムに興味があり、そういう点でもネットワークに興味が持てました。これが1989年ぐらいの話で、そのあたりで村井さん(現慶應義塾大学教授村井純氏)にも会いました。
■ それでWIDEプロジェクトなどにも入られたんですか。
そうですね。もともとがLANの運用から入ったという経緯もあり、それ以来、WIDEでも運用に近いところに興味を持っていました。WIDEプロジェクト自身は、インターネットの商用化によって、より先鋭的な技術に取り組むようになっているわけですが。
■ 当時、自分でISPをやるというというような構想は持っていましたか。
自分でISPをやるということに関しては、それほど興味は持っていませんでした。IIJや東京インターネットは別として、パソコン通信からやってきているメーカー系のISPが多く、また通信キャリア系も電話をベースにしたオペレーションをしていたため、あまり興味が持てなかったのかもしれません。
■ 東大のあと九州大学に移り、その後、MEXに移られていますが。
そうですね、インターネットの中心部に近いところでネットワークのオペレーションをやってみたいと思い、MEXに行く決断をしました。結局、1998年9月から2006年までいました。
■ DNSと言うと石田社長というか、DNSとの関わりは長いですよね。日本D N S オペレーターズグループ( 以下DNSOPS.JP)を作ろうとしたきっかけは何だったのでしょうか。
特に深く関わるようになったのは、2002~2003年ぐらいですかね。
大きな理由としては、DNSに関してリサーチや開発をやっている人は多くても、オペレーションの情報交換をしている人は少なかったということがあります。そういうことに危機感を持っている人も周りにいて、そういうことなら自分達でやってもいいかなと。
インターネットは、ルーティングとDNSが成り立たせていると考えています。ルーティングについては情報交換などの音頭をとる人が多かったのですが、DNSにはそういう人がいなかったので、必然的にこうなったということだと思います。
DNSOPS.JP設立の直接的なきっかけは、2005年12月のInternet Weekにおける「DNS DAY」での議論でした。DNSにはさまざまな問題がある中で、オペレーター同士が話をできる場が無いねと。それであれば、とりあえずBoF(Birds of a Feather - ユーザー集会の意)でも開きますかということになり、その後自然と、交流の場を作ろうという流れになりました。現在、DNSOPS.JPには1,400人超のメンバーがいますね。
■ 昨年は、DNSの脆弱性が大きくフォーカスされたことで、DNSに頼らざるを得ないインターネットの安全性にも疑問が呈され、いろいろと話題に尽きない年でした。これについて、どう思いますか。
今回の脆弱性もそうですが、それにはいくつかの原因があって、それを順番に解決しなければなりません。しかし、全てを解決するには非常に時間がかかると思っています。
今後も、脆弱性やさまざまな問題点が出てくるのかもしれませんが、これだけインターネットが広がっていると、「もう他のシステムに取り替えができない」とも感じています。「取り替えができない」ということは、何としても、いろいろな人の知恵を集めることにより、乗り切っていく必要が出てきているんだと感じています。
IPv4アドレス在庫枯渇問題とIPv6のプロモーションについて思うこと
■ 「取り替えがきかない」ことにより直面しているというと、IPv4アドレスの在庫枯渇についても、同じような局面にあると思います。
私は、IPv6の「普及」を巡る状況は、今後も厳しいのではないかと考えています。IPv4の枯渇と言いながら、結局はIPv6のプロモーションをしているだけなんじゃないのかと。間違いなく、そういう目で見ている人達はいます。
IPv4アドレス在庫枯渇問題をソフトランディングさせることが必要であれば、JPNICとしては、非常に厳しい決断を迫られるというか、批判を受けても将来に向けた現実的な政策実行も必要なのかもしれないと思います。例えば、APNICのGeoff Huston氏は、IPv4アドレスがブラックマーケットに流れるくらいならば、まずはレジストリにとって管理可能な状況に置いておき、市場での取引の方法論は今後議論で詰めていくということで良いんじゃないか、と主張していますが、こういう主張はある意味、説得力があります。
つまり、JPNICは、IPv6のプロモーションという観点からすると、逆風になるようなことをやる必要もあると思っています。必要なことであれば、むしろ批判を受けることを覚悟でやらないといけない。意思決定にあたり、何が重要なことなのかを明確にし、それを進めていって欲しいと考えています。
■ JPNICがIPv6プロモーションばかりしている、と思われる向きが世の中にあるということでしょうか。
はい、そうです。IPv4からIPv6への移行期に、IPv4を延命するための対策をどれだけしても、それは所詮、対処療法にしか過ぎないのではないか、という意見もあります。ただし、その対処療法が1年で終わってしまえば確かにその通りですが、私が運用をやっている人達といろいろ議論したところ、その対処療法の期間として5年を下回る数字を挙げた人は1人もいませんでした。Geoff Huston氏でさえ、5年という数字を挙げています。
簡単に「5年」と言いますが、インターネットにおける5年という年月は、十分に長い年月です。それどころか、場合によっては、共存が続く期間は「20年」という人もいます。仮にIPv4とIPv6の共存期間が本当に20年だとすると、それに合わせて20年スパンの戦略に変えるべきなのは自明のことです。つまり、IPv6の普及だけではバランスに欠けていて、IPv4とIPv6とをスムーズに繋げられるように、もっといろいろと取り組んでいく必要があります。
■ JPNICなどで進めている、今のIPv4在庫枯渇の対応活動に、改善の余地があるということでしょうか。
改善というか、IPv6の推進はそれはそれで良いと思うのですが、それとの密接な連携はあるものの、IPv4アドレスの在庫枯渇は少し別の話だと思うんですね。
つまり、もっとビジネスベースに落とし込んで、事業者がどういったサービスを提供するのかにフォーカスをあてるべきです。単純にIPv6のオペレーターを増やしたからといって、それでIPv6が普及するだろうという問題ではないと思うんですね。
お客様の立場からすると、接続がIPv4でもIPv6でも別に構いません。使えるものがあればそれを使うという感じでしょう。ただ、今使っているものが使えなくなる、新しく接続できなくなる、そういうことが困るわけです。これまで使っていたものがこれまで通り使えて、新しく接続しようとする人がきちんと接続できる、そういう環境を提供することが通信事業者として必要とされていることです。これには、単にIPv6のオペレーターを増やすというだけでは必要十分ではありません。
もちろん、大手のISPやキャリアには、その必要は当然あるのですが、おそらく普通の一般企業は違います。「在庫が枯渇して最初に誰が困るのか」「その人達に対して全体としてどういう支援を提供していきたいのか」という観点が大事です。そういう議論もされてはいますが、結果としては大手事業者の目線で進んでいるように見えます。
■ フォーカスが明確になっていないのでは、ということですね。
そうです。今までのIPv6ディプロイメントがなぜ失敗したかという反省が、活かされていないのかもしれません。
IPv4アドレスの在庫が枯渇して最初に本当に困るのは、アクセス系の事業者だと思っています。そういう人にどうやってIPv6のネットワークを引いてもらうのか、大規模な設備公開ができないかもしれない事業者をどのようにサポートしていくのか。そういった観点から、ちゃんとしたマーケティングをすると良いのではないでしょうか。それが抜けている感じがします。
大切なのは、ターゲティングと、その上で、どこをIPv6にすべきかという選択と集中です。今は全方位型で進んでいるように見えます。どこかに注力すべきだし、そうならざるを得ないのではないでしょうか。そうして集中した部分で、IPv6に取り組んでいく人達にとって、本当に役に立つことを提供すべきです。
地方への個別訪問から見えてくるもの~インターネットの未来~
■ マーケティング不足には、どんな風に取り組んだら良いでしょうか。
例えば、かなり地道な話になりますが、「こういうイベントをやるからここに来てください」という間接的なアプローチではなく、1社1社訪問するとか、そういう直接的なこともできるでしょう。
弊社の営業もお客様の個別訪問をしていますが、そのように意見を聞かないと、見えてこないことが本当にあるんです。新規の大規模な設備更改ができないとか、アクセス系設備にIPv6を導入するにあたり、設備の変更作業をするにしても、何時間もサービスを止められないからどうするのとか、そのような作業をするための十分な人的・時間的資源が確保できないとか、実際にお客様のところに行くと、そういう生の声が聞こえてきます。地道な活動かもしれませんが、ユーザーに対してそういう問題を一つ一つ聞いていかないといけないでしょうね。
■ 地方のISPで、頑張っていらっしゃる人も多いですものね。
そうですね、ケーブルテレビ事業者や地域ISPなんかは、その地域におけるICT関係の駆け込み寺になっていたりしますね。役所などの行政も、機械は買ったが運用はどうするんだとか、困った時には、そうした会社を頼っています。こうしたことからも、地場でやっていく意味は大きくあって、行政を支援しているような地方の人達には、東京の企業では救えないところを我々が救うんだという意識を持っている人が多いですね。
ただ、経済的には苦しい部分があり、ランニングはできても、新たな大規模設備更改が難しいところもあります。そんな中で、IPv6に投資をしたら新たな未来が開けるのか、コストをかけてそれを回収できるのかと考えると、厳しい部分があります。
■ JPNICもそういう人達を支援していきたいという気持ちがあります。
JPIXも同じです。地方のユーザーにとって、なかなかそこまで手が回らず、どうしたらいいのかわからない、とはいえ、やらないわけにはいかないという部分に関して、敷居を少しでも低くしていきたいと考えています。接続の提供やIPv6のサポートなども含めて、できることはどんどん提供していきます。そんなところから、「IPv6正式サポート」や「IPv6v4エクスチェンジサービス」などは生まれています。また、情報提供の部分にも力を入れたいですね。
■ インターネット自体、業界を含めてどういう風になっていくとお考えですか
個人的には、日本に限定すれば、ここ2~3年で大きく形が変わると思っています。IPv6やNGNの導入という変化がありますし、最大のポイントは、経済的にも内容的にも、純粋なISP事業だけで生き残っていくのは非常に難しくなるだろうということです。データセンターやISPでも、再編が起こるだろうと予想しています。
そうは言っても、昔のように、キャリアの寡占に戻るとは思えません。ただ、今まで以上にキャリアの力が強くなるのは、ある程度やむを得ないことだと感じています。その結果、今までのように自由なことができなくなるかもしれません。ただ、今までが自由過ぎたその反動なんだとすると、その流れの中で落としどころを探すという状況になるのではないでしょうか。経済的な問題ではそうなってしまうのは避けられないのかもしれません。ただし、そこで取りこぼされそうな部分のケアをしていく必要がありますね。
■ 貴社はキャリア系の会社と言えると思うのですが、それまでの大学や会社とはやはりカルチャーは違いますか。
はい、かなり違うと感じていますね。大きいのは、サービスに対する責任感が違います。つなげることや特に非常時通信に対して、強迫観念に近いような感覚を持っており、インターネット的な「ベストエフォート」という感覚とはかなり違うと思います。そういうキャリア的な立ち位置からくることは、良いことも悪いこともありますが、強い責任感を持っている部分に関して尊重していきたいですね。
■ この業界で働くみなさんに、何かアドバイスはありますか。
今は変化の時代だから、それはそれで面白い時代だと思いますよ。
■ 最後に、石田社長にとって、インターネットとは何でしょうか。
生きる縁(よすが)ですかね。もともと、分散協調におけるコミュニケーションへの興味と、自動化への興味が、インターネットへの興味へと繋がってきました。もちろん、今ではインターネットでできることには限度があることも認識しています。ただ、これが自分がやりたいことに一番近いことだったのかなと思っています。