ニュースレターNo.43/2009年11月発行
第8回 江崎 浩のISOC便り
今回の理事会は、2009年7月26日から31日にかけて、スウェーデンのストックホルム市で開催された第75回IETF会合の前、24日と25日に開催されました。今回のIETFは、米国発の金融危機本格化以降、最初の米国外での開催であり、参加者数の減少が懸念された会合でしたが、ほぼ予定/予想していた参加者数となり、次回広島で開催(第76回)の参加者数に関しても、楽観的な意見が出るようになってきました。ISOC理事会は、ISOCの予算として、IETFへの経済的支援経費を盛り込みましたが、これを使用しなくてもよい可能性が出てきています。
今回の会合は、理事改選後、最初の会合であり、議長の選出が最初に行われます。立候補者は、Qualcomm社のTed Hardie氏と、LACNICのRaul Echeberria氏でした。結局、2人を除く理事会メンバーのみでの議論を行い、その後、投票により、LACNICのRaul Echeberria氏が議長に選出されました。南米(ウルグアイ)からの選出であり、前議長のDaniel Karrenberg氏(RIPE)に続き、RIR関係からの選出となりました。ICANNの米国商務省との間での、JPA※契約に関する話など、旧来の米国セントリックなインターネットの統治構造が、変化してきているように思えます。特に、中南米、アフリカ諸国からの発言や影響力の増加が感じられます。なお、Daniel Karrenberg氏は、理事会メンバーとして引き続き在籍しており、今回の議長変更が、直ちにISOCの方向性変化にはつながらないと思われますが、より発展途上国への考慮と支援が増強されることは、当然のことながら予想されます。
IETFの運用を行っているIAOC(IETF Administrative Oversight Committee)からは、
- 経済的には非常に良好に運営されている
- さらなる自立に向けて運営体制の改革を計画している
との報告が、Bob Hinden氏より行われました。
次に、RFC発行システムの効率化などが、具体的な取り組みとして紹介されました。さらに、一度は開催の候補地となり、具体的な検討が行われていた中国での開催に関する検討が、再び行われています。2010年秋あるいは2011年での開催の方向で、調整・調査が行われているようです。今回のIETFストックホルム会合においては、中国からの参加者が、日本からの参加者を超え、米国に次ぎ第2位となりました。ちなみに、第3位がスウェーデン、第4位が日本で、全体として約1,200名の参加となりました。
また、今回の大きな動きとしては、ISOCの戦略的活動として、今後10年あるいは15年を見据えた、情報通信システムに関する発展シナリオ(以下、四つ)の整理・検討と、それぞれに対するISOCの役割についての議論が行われました。
四つのシナリオとは、
- Telco's Heaven(“電話会社の天国”である場合)
- Boutique Networks(“専門店的なネットワークと標準が乱立した場合)
- Porous Garden(競争、イノベーションを重視しつつ、独自技術での管理を強いる“囲い込み”が進行する機会)
- Common Pool(オープンかつ分散化した“共有プールが発展する場合”)
です。
「Common Pool」が、従来のNaiveなインターネットにあたりますが、これまでも、他の三つのシナリオとの、協調や協働あるいは軋轢の中で、インターネットは発展・成長してきました。オープン性、多様性、選択性を維持し、ISOCは、今後の情報通信インフラの発展に、戦略的に貢献する意思があることを、理事会全体の意向として確認しました。
- ※ JPA (Joint Project Agreement)
- ICANNは、米国商務省との契約に基づきインターネット資源の管理を行っていますが、ICANN設立時にICANNと米国商務省が締結した覚書は期限を延長する形で改訂が重ねられ、2003年9月に6回目の改訂が行われた結果、最終的には2006年9月まで期限が延長されました。そして、2006年9月に従来の覚書を更新する形で、2009年9月30日を期限とする「Joint Project Agreement (共同プロジェクト合意)」が取り交わされました。このJPAの期間満了に伴い、ICANNと米国商務省との間で新たに「責務の確認(AoC;Affirmation of Commitments)」が締結され、2009年10月1日より発効しています。