ニュースレターNo.51/2012年8月発行
国連におけるOnline Dispute Resolutionプロジェクト
立教大学教授 早川吉尚
現在、国際連合における国際商取引法委員会の作業部会にて、Online Dispute Resolution(オンライン紛争処理)に関する世界標準ルールの作成作業が進められている。かかるルールが対象としているのは、消費者や小規模事業者が一方当事者となる国際的なインターネット取引の紛争解決に関する問題である。
国際取引から生じた紛争処理の難しさの一つは、法廷地の候補となり得る国が複数存在するという点にある。A国の主体とB国の主体の間の紛争処理が問題となった場合、通常、A国側はA国を法廷地とする手続を、B国側はB国を法廷地とする手続を望むため、本案の解決に入る前に、どちらの国を法廷地とするのかという問題を別に処理せざるを得なくなる。しかも、この問題に解を与えるべき世界統一の基準といったものが存在していない。すなわち、当該紛争に対してA国が管轄を有するか否かはA国の基準で決められ、B国が管轄を有するか否かはB国の基準で決められているのであり、しかも、それぞれの基準が相異なっているのである。その結果として、本体たる紛争の解決に入る前に、国際裁判管轄の決定というこの問題に関してだけで、長年にわたりA国とB国の双方で争うことになるといった事態が発生するのも、決して珍しいことではない。ただ、これまでは幸いなことに、このような国際民事紛争処理の複雑な世界に巻き込まれるのは、国際取引を日常的に行っている比較的大規模な企業にすぎず、そうした事柄に縁のない一般消費者や小規模事業者には関係のない話であった。
ところが、近年、そこにインターネットという便利な道具が登場してしまった。この便利な道具の前では、基本的に国境というものは関係なくなる。世界中の誰もが世界中のどのWebサイトにも簡単にアクセスすることができるようになったため、海外でしか手に入らない産品など、従来はそれを専門に扱う専門業者を通さなければ困難であった外国の物品の入手が、一般消費者や小規模事業者であっても直接かつ簡単にできるようになってしまった。それは、国際取引への一般消費者・中小事業者の参加の拡大をもたらすと同時に、国際民事紛争処理の複雑な世界に一般消費者・小規模事業者が巻き込まれる機会をも拡大させてしまった。
もっとも、(小規模な存在であったとしても)事業者については別段、一般消費者に関しては、多くの国の法制上、消費者保護の観点から、消費者の住所地に国際裁判管轄を認める、さらには、消費者の住所地国以外を法廷地と定める事前の国際裁判管轄合意の有効性を否定するといった対応が取られており、その点はわが国においても同様である。すなわち、国際訴訟であるからといって、外国において訴訟遂行をする必要性があるとは限らないわけである。だが、そのように国際裁判管轄を自国に認めてもらえる場合であったとしても、訴訟遂行には多大な費用と手間がかかるのが現実であり、他方で、かかる国際電子商取引の平均的な係争額が極めて小さいことから、実際には訴訟を提起せずに泣き寝入りに終わるのが大多数である。
しかし、このような紛争解決を巡る状況が放置されていたのでは、せっかくインターネットの出現によって国境を気にせずに商取引ができるようになったのに、紛争解決の不安から取引への参入に二の足を踏む消費者・小規模事業者が依然として少なくはないということになってしまう。すなわち、消費者・小規模事業者を一方当事者とする電子商取引市場の拡大は、国内的にはともかく、国際的には頭打ちにならざるを得ないのであり、ネット取引市場のさらなる発展のためには、消費者や小規模事業者が一方当事者となる国際ネット取引紛争の解決方法を何らかの形で改善する必要がある。そのことは、近年、関係者の間において強く認識されるに至っていた。そして、この問題を改善するための切り札として検討されているのが、紛争解決手続をもオンラインで行うことを可能にするOnline Dispute Resolutionである。
現在、筆者は国連におけるかかるルール整備作業の日本政府代表を務めており、これまでに4回の会合を重ねてきている。ルールの完成の暁には、インターネットの登場により新たに発生した国際的な問題が、インターネットの力によって実現された新たな紛争解決手法により世界的に解決されるということになり、興味深い。
プロフィール●早川 吉尚(はやかわ よしひさ)
1996年に東京大学大学院法学政治学研究科博士課程満期退学後、
立教大学に奉職。
2005年より、立教大学教授。
国連国際商取引法委員会やハーグ国際私法会議などのさまざまな国際機関における日本政府代表を務める他、
国内においても法制審議会における複数の部会、
産業構造審議会の委員会のメンバーを務める。
JPNICにおいても、
ドメイン名紛争処理方針(DRP)を取り扱うDRP検討委員会の委員長を長らく務めている。