ニュースレターNo.54/2013年7月発行
To do, or not to do?
JPNIC理事 辰巳 治之
JPNIC物語(竹取物語風に):JPNICの誕生
今は昔、インターネットガバナンスらしきものありけり。仕事にまじりて、IPアドレスやドメイン名を取りつつ、萬の事につかひけり※1。名をば研究ネットワークの連合委員会(JCRN)※2となむいひける。そのネットワーク(WIDE、TISN、JAINなど)のなかに、もと光るセンター(JNICらしきもの)なむ、ひとすぢありける。怪しがりて寄りて見るに、大学・企業の研究活動のなかに光りたり。それを見れば、学生と見まごう研究人、いと懸命に働いていたり。JCRN※3いふやう「われ朝ごと夕ごとに見る、インターネットの中におわするにて知りぬ、JPNICになり給ふべきものなめり」とて、手にうち入れて東大大型計算機センターに持ちて来ぬ。JCRNの幹事会※4にあづけて、type A、Bを判定す。ボランティアなこと限(きり)なし。
情報記(方丈記風に):ゆく情報化のながれ
ゆく情報化のながれは絶えずして、しかも元のJUNETにあらず。ネットに浮かぶ情報はかつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。ネットの情報とサイトは、またかくのごとし。
…… 中略 ……
JPNICも変わらず、人も多かれど、いにしえ見し人は、二、三十人が中に、わづかに一人二人なり※5。朝に死に※6、夕べに生まるるならひ、だだ水の泡にぞ似たりける。
…… 中略 ……
そのガバナンスとネットワークと、無常を争うさま、いはばネットワークのアドレスに異ならず。あるいは、IPv4アドレス在庫枯渇宣言してインターネット残れり。残るといへども、いつかは代わる? あるいは、IPv6普及活動しぼみて、IPv4アドレスなお消えず。消えずといへども、真のクラウド※7をまつことなし?
今は昔、20年前(1993年)、北海道地域ネットワーク協議会(NORTH)※8が、WIDEとの共同研究を開始し、一大決心をしてJPNIC会員になった。情報G7のプロジェクトが始まったのが20世紀の終わり。そして21世紀になるやいなや、IPv6医療応用検討委員会を開催。その成果としてJPNIC Open Policy Meeting 2002(横浜)でIPv6 Topological Addressing Policy(TAP)を提案※9、それを受けてIPv6 Summit in Sapporo 2003開催。そして10年。トラフィック解決や災害時に必要な地域IX? アドレス枯渇の救世主のIPv6?
IPv6 TAPとVirtual Global Network、それによる地域IXや医療専用ネットワーク※10の実現に向け、To do, or not to do: that is the question!と、熟考中……
※1 がんセンター:気象衛星のひまわりや世界トップのがん情報、札幌医科大学:LAMeN(Local Area Medical Network) serverなど
※2 JCRNの歴史的ページ http://www.sapmed.ac.jp/jcrn/
※3 統計数理研究所 丸山直昌氏 「研究ネットワーク連合委員会(JCRN)からJNIC設立へ」 https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No52/0320.html
※4 幹事会:小柳義夫委員長、釜江常好先生、村井純氏、後藤滋樹氏、野島久雄氏、東田幸樹氏、丸山直昌氏、水島洋氏、主査辰巳治之(JCRNからJPNICへのリエゾンとして)
※5 2013年現在、JPNIC誕生当時を知るJPNIC理事は後藤氏、佐野氏のみ。なお、顧問として村井氏、JPRS社長として東田氏は健在。
※6 JCRN事務局長:石田晴久先生、JPNIC初代運営委員長:平原正樹氏、SINET:猪瀬博先生、松方純氏、ご冥福をお祈りいたします。
※7 あらゆる物がつながり、すべてのクラウドがつながるInterCloud、the InterCloudの登場か?
※9 https://www.nic.ad.jp/ja/materials/ip-users/200212/JPNICopenPolicyMeeting2002-1.pdf
※10 NPO法人医療福祉クラウド協会 http://www.mewca.jp/