ニュースレターNo.56/2014年3月発行
日本のアカデミアを結集したネットワーク研究プロジェクト JAIN(Japan Academic Inter-University Network)
公益財団法人仙台応用情報学研究振興財団理事長
東北大学名誉教授 野口 正一
JAINの目的と設立
1980年以降急速に発達したネットワークの環境は、学術研究を支援する最も重要なインフラとなっていた。一方、日本におけるネットワークの環境は欧米に比較して格段に遅れており、高度な学術研究のためのネットワークの構築の研究が不可欠となっていた。
この問題を解決するための戦略は、日本の大学の先進的なネットワーク研究者を結集し、総合的な高度ネットワーク構築技術の研究・開発を推進する組織を構築することであった。
1986年、我々の提案が文部省の総合研究Aとして認められ、JAIN(Japan Academic Inter-University Network)の研究プロジェクトが設立された。以降、JAINの研究プロジェクトは、文部省の科学研究費により1986-1987、1988-1990、1991-1993の計8年間継続した。1993年2月時点での参加大学は82校、研究組織として研究分担者28名、参加協力者186名となった。
JAINの構成メンバー
最初の構成メンバーは、各大学のネットワーク研究の代表者19名によって構成された。
メンバーの一例として東北大学の野口正一(代表)、東京大学の石田晴久氏、京都大学の金沢正憲氏、大阪大学の宮原秀夫氏、学術情報センターの浅野正一郎氏、慶應義塾大学の村井純氏等であり、この19名の代表者はその後の日本のネットワーク研究の強力な推進者である。
その後、この組織は1993年迄急速に拡大していく。
JAINのプロジェクト
JAINの研究目標は次の三つであった。
- 日本におけるネットワーク研究の研究プラットフォームの構築
- 次世代ネットワークの基盤技術の開発
- 日本の各大学ネットワークの相互接続と運用管理技術の開発
2. における研究開発のテーマは次のものであった。
(i)ネットワーク管理技術 (ii)ネットワーク運用技術 (iii)routing技術 (iv)security (v)user service (vi)応用システム (vii)次世代ネットワーク技術 等であった。
その多くは1990、1991、1992年のJAINシンポジウムを中心とし、各学会および大学の研究会等に多くの研究成果が発表されている。
さらにこれらの研究は、電気情報通信学会、情報処理学会に設置されたネットワーク専門分科会で継続され、現在も発展し続けている。
JAINと各大学内ネットワークとの接続
1980年代後半に文部省はようやくネットワークの重要性を認識し、1987年4月に東北大学と京都大学に初めて大規模学内ネットワークの構築を認めた。以降、学内ネットワークの構築は全国の大学に急速に拡大していく。
この中でJAINの重要な役目の一つは、各大学のネットワークをTCP/IPのプロトコルで相互接続することである。
JAINが行った相互接続の要約は次図の通りである。
JAINコンソーシアムの設立
1980年代から1990年代にかけて、ネットワーク研究開発の大学と産業界との連携は、WIDEプロジェクトを除けば極めて「希薄」であった。
このため、本格的な学産連携のプラットフォーム構築のため、新しくJAINコンソーシアムが1993年に設立された。JAINコンソーシアムの設立に参画した方々は、大学側ではJAINの主な構成メンバーのほか、相磯秀夫氏、釜江常好氏、池田克夫氏、牛島和夫氏、当麻喜弘氏らであり、産業界からは各企業の当時の副社長であったNTTの宮津純一郎氏、NECの水野幸男氏、富士通の大槻幹雄氏、日立の三浦武雄氏を始めとする、KDD、三菱、沖電気、住友電工の方々であった。
JAINコンソーシアムのプラットフォームを通して、多くの学産連携による研究プロジェクトが研究グループごとに推進され、特に各大学間接続技術、大学の大規模学内ネットワーク構築の研究開発等を通して多くの成果が見られた。
JAINの成果
JAINは1980年代および1990年代、日本全国の大学のネットワーク研究者を結集した学術・研究の組織であり、当時の日本のネットワーク研究・開発に数多くの貢献を行った。1993年におけるJAINの研究者数は200名を超え、この方々がさらに産業界の研究・開発者と協力し、最先端のネットワーク研究・開発を推進してきた。
また、JAINの成果はその後の電気情報通信学会、情報処理学会の中に設置された、ネットワーク研究に関係する多くの研究会の発展に多大の寄与を行った。
なお、参考のため1992年11月における、JAINを中心とした大学間ネットワークの状況を左図に示す(平原正樹氏による)。
エピローグ
1980年代、日本におけるInternetの重要度についての認識は極めて遅れていた。要因は当時の郵政省、通産省を中心とする行政、日本の産学界トップの方々の認識であった。例えばIIJの認可、JPNICの法人化に想像以上の長い時間が必要とされた。
いずれにしても日本のInternetの発展は1年以上、人為的に阻害された面が強い。
このような状況の要因に日本の官庁、産業界に大きい影響力を持ったキーパーソンの存在があった。
日本の将来を考えたとき、今後のリーダーはこの問題をもって他山の石とすべきである。