ニュースレターNo.57/2014年8月発行
JPNIC会員企業紹介
「会員企業紹介」は、JPNIC会員の、興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介するコーナーです。
今回は、日本で最も歴史のある独立系のソフトウェアハウスの一つである株式会社SRAを訪問しました。
同社は47年前、コンピューターメーカーやユーザー企業に依存しない「独立系」のソフトウェア会社として創業し、UNIXについても日本で最初に商用利用を開始した会社です。そうした背景もあり、オープンソース・ソフトウェアについても高い技術力を誇り、その利用や支援にも力を入れています。
ネットワーク関連企業の多いJPNIC会員として今回は異色の趣きですが、ソフトウェア開発について、出発点から、開発の面白さ、ネットワークとの連携、また今後のソフトウェアの可能性に至るまで、興味深いお話をうかがいました。
株式会社 SRA | |
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住所: | 東京都豊島区南池袋2-32-8 |
設立: | 1967年11月20日 |
資本金: | 26億4,020万円 |
代表取締役社長: | 鹿島 亨 |
URL: | http://www.sra.co.jp/ |
事業内容: |
・システム構築(金融、組込、文教、業務システム、など) ・システム運用・保守 ・ネットワーク構築・運用 ・コンサルティング ・ハードウェア(サーバ等)販売、ソフトウェア販売、サポートサービス |
従業員数: | 982名 (2014年4月1日時点) |
創業からUNIX、オープンソースとの出会いと発展
■SRA、と言うと、UNIXのイメージもあるのですが、まずは会社の成り立ちについてお聞かせいただけますでしょうか?
石曽根:「ソフトウェア」という言葉が世の中でほとんど認知されていない時代に、故丸森隆吾、現最高顧問の岸田孝一の2名によって「ソフトウエア・リサーチ・アソシエイツ」として1967年に創業しました。2014年の今年で創立47年目となり、日本におけるソフトウェア会社の草分け的存在と言えます。当時は、ソフトウェアと言えば「ハードウェアに付いてくるもの」と考えられていましたから、ソフトウェアを専門で作るという概念自体が新しかった上、さらに、特定のベンダーとも関係なく、企業の情報系子会社でもないという意味からも、珍しい存在でした。当時から「独立系」として、一貫して中立的な立場でお客様に対して最適なソリューションを提供してきました。
■独立系ソフトウェアハウスのパイオニアということですが、当時はまだインターネットが登場するかなり前の時代です。一体どういったソフトウェアを作っていたのでしょうか?
石曽根:インターネット同様にUNIXもまだない時代で、主に汎用機を対象としたコンパイラ系の仕事であるとか、今ならば「自動化」と呼ぶようなツール系の開発など、幅広くやっていました。もちろん現在のアプリケーションのような、綺麗なグラフィカルユーザーインタフェース(GUI)があって……という時代ではなかったので、地味と言えば地味なものであったと言えるでしょう。
■なるほど、そのように大型の汎用機に関わる時代が20年ほどあって、UNIXなどが出てくることになるんですね。
石曽根:そうですね。私が入社したのは1985年ですが、その当時SRAでは、既に1980年からUNIXを商用利用目的で導入していました。我々は入社後すぐにUNIXを使った世代です。
■1980年に既に社内にUNIX環境があったとのことですが、それは世の中的にはかなりの先駆と言えるのではないでしょうか?
石曽根:そうだと思います。当時、UNIXは一部の大学では研究用途として使われており、私も学生時代に利用していました。しかし、企業でUNIX、それもBSD(Berkeley Software Distribution、1977年から1995年までカリフォルニア大学バークレー校が配布したUNIX OS)を導入してビジネスをしている企業はほとんどなく、先駆的であったと思います。そのような下地が、ソニー社の「NEWS (Network Engineering WorkStation、ニューズ)」の開発に協力するということにつながりました。
■石曽根さんは、UNIXのGUIであるX Window Systemで日本語を入力できるようにする「kinput」というソフトも作られたそうですね。作成にあたっては協力者はいたのでしょうか?どのように開発を進めたのか、教えてください。
石曽根:今では日本語が表示できるのは当たり前のことですが、当時はそもそもフォントもなく、UNIX上で日本語を扱うのは難しい状況でした。ですから、日本語が表示できるパソコン、例えばNEC社のPC-9800シリーズなどでしたが、そういったパソコンを文字端末とすれば、そこで日本語が表示できたため、それをつないで仕事をしていた状況でした。
GUIでの利用にあたっては「表示はできても、入力はどうするのか?」という問題がありました。MS-DOSではかな漢字変換ソフトが動いたのですが、X Window Systemを利用している場合は、PCに付いているソフトは使えず、皆が試行錯誤していた時代でした。「X Windowは便利だから使いたい。でも日本語が入力できない。では、どうにかしよう」というのがきっかけです。
開発は当初、会社での仕事の一部として私1人で始め、社内・社外の多くの人の協力を得て、それをオープンソース・ソフトウェア(OSS)として公開しました。当時はまだ、OSSを「フリーソフト」と呼んでいた時代で、OSSの数も多くはありませんでしたが、公開すると他の人が改造したり拡張したりして活用する試みは始まっていました。私自身、kinputを改造や新しいものの組み込みがしやすいよう作ったということもあるのですが、多くの人がkinputを利用し、私が作った時は一つだけであった、かな漢字変換の心臓部についても、他のものも使えるようにしてくれました。
OSSとして公開することによって、皆が利用し、それに対してコントリビュートしてくれて、それを私が組み込むことで、より高機能なものを公開するという、相乗効果を実感したものとなりました。
今はOSSという概念が広がり、品質も商用ソフトウェア以上のものが多くありますが、当時はまだ数は少なく、日本語入力にしても各社がそれぞれ自社製品を作っていました。フリーで使えるものを出すことによって、「これくらいのものがフリーで出せるんだから、商用であればこれよりレベルの低いものは出せないだろう」という、ボトムラインを作りたかったというのもありますね。
■そうやってOSSを通じて、「ユーザーのコミュニティ」ができてくる、というのもありますよね。UNIXだと「日本UNIXユーザ会(jus)」がありますが、実はjusを立ち上げたのも貴社なのですね。
石曽根:そうなんです。SRAはずっとUNIXを使ってきていて、それを広めていきたいとも考えていました。それなら「ユーザー会を作ろう」と。jusに限らず、他にも多くのユーザー会を立ち上げてきました。また、研究開発の分野でも多くのコミュニティに参加しており、ネットワーク分野で言うと、JUNETやWIDEプロジェクトにも参加しましたね。
楽しむことが、次につながる 〜企業風土と現在のチャレンジ〜
■そのようにOSSや、それを使うユーザーにも焦点を当てて、ユーザー会の運営などにも積極的に取り組んできたということですね。その辺りは、貴社の社風にもそういう風土が反映されているということでしょうか。
石曽根:それはありますね。我々は元来、技術には強いこだわりを持っています。そして常に先進技術を取り入れるために試行錯誤しています。その一つがOSSであり、昔はUNIXだったと言えるでしょう。
UNIXに関しては、汎用性のある高度な技術として画期的でした。それに積極的に取り組もうと考えましたし、OSSについても、リチャード・ストールマン氏の「GNUプロジェクト」に対して、1987年という早い時期から積極的に支援しています。PostgreSQLの開発コミュニティについても同様です。
SRAは、「自らの職業的実践を通じ、コンピュータサイエンスの諸分野を発展させ、それによって人類の未来に貢献する」という企業理念のもとに設立されました。これを真正面に言うと少し気恥ずかしい感じもするのですが、技術にこだわり、常に新しく役に立つ技術を取り入れる、という精神は今でも引き継がれています。
■最高顧問の岸田氏が上梓されている『ソフトウェア・グラフィティ』に「プログラマたちの遊園地を」というくだりがあったように、「楽しんでやれる技術が、役に立つものにもなるといい」というような、技術にこだわるだけでなく、楽しんで技術に接している雰囲気も感じ取れますね。
石曽根:はい。実は私も、その“遊園地”に放り込まれたひとりなのですが(笑)。kinputの開発もそうなのですが、楽しみながらも後々はビジネスにつなげよう、という考えがあります。そういう思想が、「先端技術研究所」の設置などにもつながっています。我々の規模の会社で、研究所を持っているところは珍しいと思うのですが、先端技術研究所では、今すぐどうにかなるものだけでなく、5年後、10年後にビジネスに結び付くテーマも含めてチャレンジをしています。
■面白そうですね。今、先端技術研究所の研究で興味深いものを、何か教えていただけますか。
石曽根:一つ挙げるとすると、「インタラクションデザイン」ですね。今の時代は、スマートフォンのアプリケーションが典型的ですが、GUIが高度化しています。このGUI、昔は「ユーザーインタフェース(UI)」と字のごとくでしたが、今は「ユーザーエクスペリエンス(UX)」と呼び、ユーザー体験を重視する方向に変わってきています。
「ボタン」を例に挙げましょう。普通は、押し間違えると重大な影響があるボタンには確認のダイアログが出ます。これがUI的な考え方です。そうではなく、「そもそも押し間違いをしにくいボタンとは?」を考えて提供するのがUXです。
UIというのは、システム側がユーザーに対して「機能をどう提示するのか」という観点で設計されることが多いものです。一方UXは、「ユーザーがどういう気分になるのか」「機能が提示された時にユーザーがどう反応するのか」を考えるものです。「インタラクションデザイン」は、そういったUXの考え方を大きく取り入れたデザインです。「ユーザー」と「機能」のやり取りをきちんとデザインしましょうということになります。
以前は機能を設計して、最後にそれをどうやって画面に落とし込むのかがソフトウェア設計だったのですが、それだとどうしても機能優先になってしまい、本当に使いやすいインタフェースはなかなかできません。そのため、ユーザーが使うことを前提に、まず何を提示して、そのためにはどんな機能が必要かというように「発想の逆転」や両面で考えることが必要になるのです。ソフトウェアの作る際の根本的な考え方が変わることになります。
先端技術研究所長の中小路久美代は、日本ではその分野の第一人者で、現在は京都大学の学際融合教育研究推進センターの特定教授をしていますが、彼女を中心にそのようなことを研究しています。
ダイレクトで柔軟なソフトウェア開発の魅力
■ソフトウェアの設計をする人は、ユーザーの要望をくみ取るところから始め、反応スピードとか画面の遷移とか、ユーザーが意識すらしていない部分もくみ取って全体を考えるという、高度な想像力が必要そうですね。
石曽根:はい、とても重要で大変なことです。実際の作業としては画面のスケッチを何度も紙に書いて、動かしたり組み合わせたり、それを何度も繰り返して設計、構築していきます。もう少しそのあたりのことを方法論にして、誰でも使える「ノウハウ」にしたいと思っていますが、今のところはまだそう簡単にできそうもないですね。
■ユーザーの要望をくみ取ってソフトウェアを作ることもあると思うのですが、自分で「こういうものを作りたい」という場合もあるのではないでしょうか。自分が欲しいものを作るのと、他人のニーズで作るものでは、何か違うところはありますか?
石曽根:似ているところも違うところもあるのですが、根幹は似ていると思います。
自分が欲しいものを作る場合は、当然作りたいものはわかっていますが、ただそのソフトウェアは自分だけが使うわけではありません。当然「他人がどう使うのか」を意識して作ります。一方、お客様の要望に応じて作ると、お客様がどう使うのかを考える比重はより増えますが、その中に「こうしたら良いのではないか」という我々の意見もぶつけて作っていきます。
つまり、自分の裁量とお客様の要求の割合は違うけれども、「みんなが使う」ということが根幹であることには変わりないですね。
■例えば「建築物」は、建築後にメンテナンスは必要とは言え、基本的には一度建築したらそれはそのものとして残る「ハードウェア」です。しかし、ソフトウェアはそうではありません。メンテナンスはもちろんのこと、時代によって使われるテクノロジーも変わってきます。そういった部分での対応の難しさなどはあるのでしょうか?
石曽根:もともと「作る」にあたっての柔軟性が、他のものとソフトウェアでは大きく違います。先ほどの「建築物」で言えば、例えば2階建ての家を建てようとしたら、普通はその通りでき上がりますが、ソフトウェアの場合、「2階建てを作り始めて、作り終わったら10階建てになっていた」ということも、当たり前のように起こる世界です。メンテナンスでも、「もう2階建て増しする」なんていうことも可能なのです。そういう意味で、作る際にもメンテナンスの際にも、「何をしたいか」が最も重要で、それで何を作るかを判断するところが一番難しいですね。実際に動くものが見えてきた段階で、「これがあると良い、あれもあった方が良い」ということもあります。
もちろんソフトウェアではそれが実現できてしまうのですが、一方で期間やコストの制約があるので苦労もありますね。
■柔軟性を生かして素晴らしいものもできるし、逆に言えばそれ故の苦労もある、というところがソフトウェア制作の1番の面白いところなのでしょうか?
石曽根:柔軟性があることに加え、普通のもの作りとは違い、量産化の工程がありませんから、作ったものがユーザーの手元にそのまま届き、非常にダイレクトだというところも面白いですね。量産化工程が間に入ると、どこかで自分とユーザーの接点が切れてしまいますが、ソフトウェアは作ったものを大勢の人たちにそのまま使ってもらえますから。
■そういうダイレクトで柔軟なもの作りに魅力を感じる方が多いのでしょうね。
石曽根:新卒の面談もやるのですが、やはり「もの作りをしたい」という意欲を最も強く感じます。最近の学生は小さい頃からコンピュータやネットワークの存在が当たり前であるため、「ITでもの作りをしたい」という希望も多いです。もともとコンピュータサイエンスをやっている方もいますが、全く別の学科を出たけれどIT系で活躍したいという人もいます。
基本的にはやる気があって、後は、物事の理由とか、仕組みに興味を持って理解しようとする人達がこれからは必要とされると思いますね。「この裏はどうなっているの?」という仕組みに興味を持てるのと持てないのとでは、その後の成長に大きな違いがあるような気がしています。さらに、表面的なところだけでなく裏まで気が付く人――ソフトウェアの開発では特に、お客様の要求の裏まで読んで作ることも必要なので、そういう人が増えてくれるとありがたいです。
ネットワークとソフトウェアサービスの今
■ネットワークの業界では、そういう想像力が足りない、つまりは「ネットワークとソフトウェアのエンジニアがレイヤーごとに別れていて、そこのインタラクションがうまくいっていない」「ネットワークのことを全然わからずにプログラムを作っている人が増えている」などという話もよく聞くのですが、どうすれば今後の連携がうまくできるでしょうか。
石曽根:今やシステムはネットワークと一体です。SRAではネットワークと開発のエンジニアで分かれてしまって……というのはあまり感じていません。もちろん、必要とされるスキルは違うので、どちらかがどちらかの代わりにはなれないですが、一緒に仕事をして、ネットワーク的な要件とシステム的な要件を擦り合わせることはエンジニア同士がごく普通にやっています。我々のベースは「お客様のシステムを作る」というところなので、ISPさんとは事情が異なるところもあるのかもしれませんが。
今のサービスは、多くのサービスにおいて、提供モデルの基本に「ネットワーク」があります。インターネットが無ければそもそも実現できないサービスです。取引先には、スマートフォンを使うような企業も増えてきています。スマートフォンでデータを入力したり、チェックしたり、それを裏ではクラウドで集約して……というのは普通にあります。もはやネットワークが無いと暮らせません。ですから、ネットワークとソフトウェアを一体で考えることは不可欠ですね。
■ネットワークを使ったサービスが多くなっているということですが、貴社では例えばどのようなサービスを展開していらっしゃいますか?
石曽根:そうですね。昨年販売を開始した「BELEGA(ベレガ)」という製品があります。「BELEGA-EC」と「BELEGA-DC」との2種類あって、「BELEGA-EC」はEC構築パッケージです。一方、「BELEGA-DC」は「デジタルコンテンツ」を「DC」と略したもので、配信管理システムです。この「BELEGA-DC」を導入していただいた、動画配信をしているある企業では、コンテンツ管理のみならず、例えば「見てくれたらポイントをあげます」「ポイント制で何回見られます」「課金制で、後どれだけ見られます」といった仕組みも導入されています。
「BELEGA」は、お客様との会話を通じ、「必要だと感じられ、さらに技術的にも面白いもの」として社内で話し合い、ボトムアップで稟議を上げて作りあげたものです。物販だけではなく、デジタルコンテンツ配信などの最近の流行も取り入れ、ソフトウェアとネットワーク的なものをSRAなりに考えて集約したものです。
また、「HEALTHPLAYER」というサービスもあります。これはヘルスケア分野で実績のあるベンチャー企業と組んで提供しているものですが、スマートフォンを利用し、運動するとスマートフォン内蔵の歩数計や消費カロリー計を使ってデータが記録され、クラウドにためるサービスです。そのためたデータ、例えば、歩数や体重ですが、そういったものを使ってその人の体調にあった健康関係の記事や広告を配信するなど、ビジネスに利用してもらえるシステムになっています。もちろん個人情報はわからないようにしています。
■ある種のビッグデータ活用と言えますね。そうなると、個人情報の管理も含め、お客様の要求ももろもろ上がってきそうですね。
石曽根:そうですね。少し前までは、SRAとして、パッケージを作って、それに当てはめて提供するというスタイルだったのですが、最近は皆がコンピュータに慣れていて、要求水準が高いですね。見栄え一つとっても、とても細かいレベルを要求されます。それに対応することを前提にいろいろな角度から検討して提案していかないと難しいです。気合いを入れていかないといけません。
単純に、「もの作りのSRAです」「技術があります」「うちの製品はいいものです」というところに、とどまっていてはダメですね。また、「処理が速い」だけではなくて「使いやすくて、処理が速い」でないとダメです。使いやすいのが前提で、そこが一番大切です。
世界はソフトウェア化し続けている 〜ITを取り巻く世界の未来〜
■ちなみに、IPv6に対応したいと言ってくるお客様はどの程度いるのでしょうか?また、ソフトウェア業界としての対応状況はいかがですか?
石曽根:今現在では「IPv6でサービスしたい」というリクエストはほとんどありません。もちろん「“IPv6でも”使えるようにして欲しい」というお客様はたくさんいらっしゃいますし、そういうリクエストには対応しています。一般のお客様からIPv6で特別な要求はまだ無いとは思いますが、今後は増えてくるのではないでしょうか。
我々自身は昔から、IPv4/IPv6のトランスレータを作るなど、「Mobile IP」の時期からIPv6には積極的に取り組んできました。今も、今後はニーズも増えるだろうから社内にも実験的な環境を作ろうかという話が出てきています。
■なるほど、今後に向けて準備を進めていきたい、という状況ということですね。IPv6対応に限らないのですが、JPNICに対して、何かご要望がありますでしょうか。
石曽根:Internet Weekのような啓発活動は、普通の企業だとやりにくいものです。JPNICは標準化に関係し、基本的な知識の啓発をするなどという、公益的な役割を担っています。情報を皆で共有するためにも、Internet Weekのような活動は続けていただきたいですね。また、インターネットや、そのサービスを公平中立に支えるという意味でも、JPNICには頑張っていただきたいと思います。
■最後に大きな質問なのですが、貴社もしくは石曽根さん個人にとって、「インターネット」とはどんなものだと、そしてどうなっていくとお思いになりますか?
石曽根:まさにインフラですよね。なくてはならないもの。これなしでは事業活動もできないし、個人の生活も支障をきたします。きちんと健全に発展させることが非常に重要です。また、会社の立場で言えば、「仕事の宝庫」とも言えるでしょう。これが昔はクライアント・サーバ型の「基幹システム」だったわけですが、今、我々は、インターネットでビジネスをやっています。電気、ガス、水道、インターネットというくらい、ないと困るし、それがあってこそのビジネスです。閉じられたものでもないし、そこに向けて成長していかないと、同業においていかれます。
一方、ソフトウェア会社としての立場からインターネットや世界を見ると、「世界がソフトウェア化してきている」と言えるのではないでしょうか。特にITの世界は顕著です。
具体的に言うと、昔は「ソフトウェアはハードウェアの上で動作するアプリケーション」という役割だけでしたが、今はハードウェアも仮想化されてソフトウェアになりましたし、それどころか、ネットワークでさえSDN(Software Defined Networking)のように仮想化され、データセンター自体をソフトウェア定義した「SDD(Software Defined Data Center)」なるものまで出てきました。
先ほど「ソフトウェアの特性」の話をしましたが、何でもソフトウェア化した方が、コントロールしやすく柔軟性を持たせることができます。そのため、ソフトウェアの領域が広がるという流れは止まらないと思っていますし、特に今までソフトウェアとはかけ離れていた領域との関わりが増えていくでしょう。
一方で、ソフトウェアは一歩間違えると簡単にバグが生まれ、おかしな動きをします。最近もOpenSSLなどの話題がありましたが、セキュリティや安全性には十分に気を付ける必要があります。
我々は「ソフトウェア領域の広がり」というこの流れが必ず良い方向に進むと信じていますので、さまざまな動きを見据えながら、技術の研鑽に努めたいと考えています。
流れはもう止まらないのですから、それをいかに目指すべき方向へと導いていくか、これが最も重要なことになるのではないでしょうか。