ニュースレターNo.64/2016年11月発行
JPNIC会員企業紹介
「会員企業紹介」は、JPNIC会員の、興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介するコーナーです。
今回は、APEC大阪会議を契機に1996年に設立され、今年で20周年を迎える「サイバー関西プロジェクト」を訪問しました。この名前を聞くと、今年2016年5月に急逝された故山口英先生のことをまず思い出す人もいるかもしれません。
ネットワーク系の技術者のみならずコンテンツ系の会員も巻き込んで、違うレイヤーの人々が「面白いことをやろう!」をキーワードに協力し、その結果として、現在の我々にも馴染みがあるいくつものサービスが生まれてきました。取材当日は、毎月1回開催されているという幹事会の日。がやがや人が集まる中で、当時からの裏話も含め、活動が生まれた背景から関西中心のプロジェクトとしての熱い想いまで、とても興味深いお話がうかがえるインタビューとなりました。
サイバー関西プロジェクト | |
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住所: | 〒530-0011 大阪府大阪市北区大深町3-1 グランフロント大阪 タワーC 9階 |
設立: | 1996年 |
代表者: | 下條 真司 |
URL: | http://www.ckp.jp/ |
目的: |
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事業: |
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メンバー: | 36組織(2016年8月現在) |
20年を迎えた、サイバー関西プロジェクトがめざすもの
―サイバー関西プロジェクト(以下CKP)、20周年を迎えるということでおめでとうございます。まずは、CKPの、活動内容について教えてください。
小林:1996年の設立以来、関西圏を中心に、新しいインターネット技術の創出や、ネットワーク上でのビジネス応用のための共通基盤の形成を目的として活動している会員制の組織です。インターネット上で情報を提供するのに必要な先進技術の研究に取り組むだけでなく、その技術について、実証実験などを通じて実地的に検証・高度化し、将来的には商業サービスにも繋げられるような活動をめざしています。
例えば、現在CKPも関わっている実証実験で有名なものとしては、毎年行っている「さっぽろ雪まつり」の中継があります。2014年2月には、世界初の8K非圧縮映像の長距離伝送に成功しました。また、仮想化やIoT関連のセミナーも多数実施しており、大阪・梅田に新しいリサーチオフィスを構えたこともあり、この拠点を積極的に活用しています。
―どのような組織がCKPの会員になっているのでしょうか。
小林:関西地域を中心に、産官学のさまざまな組織が会員になっています。ネットワーク関係の組織だけではなく、放送局や広告代理店といったコンテンツ系に強いところも会員になっているのが特徴です。会員には、一般会員と会費以外の形でCKPに貢献する賛助会員という形態があり、それぞれの組織からは積極的にCKPの活動に参加してもらえる方に幹事として出てもらっています。
それら幹事が月1回集まって幹事会を開き、持ち回りで勉強会を行って一緒に先端の技術を共有したり、会の運営やイベントの企画を立てたりしています。本日は、ちょうどその幹事会のタイミングでインタビューに来ていただきました。
設立のきっかけは、1995年APEC大阪会議でインターネットを構築したこと
―放送局や広告代理店は意外ですね。そもそも、それらの人々がどうやって集まったのでしょうか。
小林:きっかけは1995年11月に開催された、アジア太平洋経済協力(APEC)大阪会議です。このAPEC大阪会議に向けて産官学で協議会が作られたのですが、そこで「APEC会議をインターネットに繋ぎ、それを利用した情報提供ができないだろうか!」という話があって、ボランティアのワーキンググループを結成したのが始まりです。このワーキンググループには、APECに関わる関西の主要企業が集まりました。もちろんそこに広告代理店も入っていました。
APECの事務局や各国大使館、外務省にリクエストを聞いて回り、会議の情報を発信するのみならず、大阪の観光情報を伝えたり、音楽情報のオンデマンド配信やニュースのストリーミング配信などを行ったりしました。それだけではなくて、国内外の関係者が持ち込んだPCのトラブル対処まで、ありとあらゆる支援をしましたね。最終的にはボランティアの数は約200名! 作業は大変でしたが、このAPEC会議でのインターネット構築は、産学官のプロジェクトが関西で大成功したことを示したと思います。
―1995年当時は、一般の人にとってインターネットはまだまだ珍しかったんじゃないでしょうか。
小林:はい、珍しかったと思います。当時、会議場の近隣には松下グループや富士通のビルがあったのですが、そこの1階のフロアを借りてインターネットが使えるコーナーを作りました。いわゆる「インターネットカフェ」ですね。最初は「小さなコーナー」と言って貸してもらったのですが、最終的にはフロアになってしまいました(笑)。
また、今だから言えますが、会議後に出るAPECの公式文書を外務省と同時に入手できたのですが、我々が外務省発表前に先にWebで公開してしまい、後日問題になりました(笑)。
いろいろなことがありましたが、全体的には会議支援はものすごくうまくいって、成功に終わりました。それが評価されて、2年後の1997年12月に京都で気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)が開催された際に、国連から声がかかることになりました。
―地球温暖化防止のための京都議定書が採択された会議ですね。
小林:明確なリクエストが無かったAPEC会議の時と違って、このCOP3の時は国連から正式に依頼がありました。コンテンツをインターネットに流したいという話があり、映像ソースを国連からもらって、公用語の翻訳を付けて全世界に向けて配信しました。このCOP3は、国連の会議では分科会(ブランチ)の会議も含めてすべてを録画した初めての会議なのです 。すべての議論がアーカイブされていて、今でも見ることができます。このCOP3で我々は頑張ってやり過ぎてしまったので、「アルゼンチンでもやってくれ」となり、翌1998年11月のCOP4開催時には、みんなでアルゼンチンに行くはめになりました(笑)。
―当時は何人ぐらいのメンバーで、どうやって集まったのでしょうか。
下條:最終的には100人ぐらいになりましたが、コアは40人ぐらいだったと思います。APEC大阪会議の時に、前幹事長の山口英先生と私を中心に、地域ネットワークである関西ネットワーク相互接続協会(WINC)で活動していた人たちを中心に声をかけて集まったメンバーです。そこにはインターネットにセンシティブな濃い人々が業種を超えて集まり、学術や通信関係の人達だけでなく、その中に放送局の人などもいました。また、元々APEC会議のインターネット支援という話を持ち込んできたのが広告代理店の方だったので、彼らも参加してCKPの母体が作られました。
防波堤という意味でも会長には宮原秀夫先生になっていただいて、その下で山口先生がインターネット技術方面を、私がマルチメディアやコンテンツ方面を担当するという感じでした。
「未来を見据えて事業を作る、ついでにお金も儲かるといい」- 実証実験を通じ、新ビジネスを生み出す試み
―CKPが発足して以降は、どういう活動をされてきたのでしょうか。
小林:産官学を繋いだ実証実験を多く行ってきました。ネットワークを使って何か新しいものを作り出していくのですが、APEC大阪会議をきっかけに、それが最終的には新しいビジネスに繋がったものもたくさんあります。
例えば、インターネットを引く際にNTT側から協力してくれた人がコアになって、ホスティングやストリーミングについていろいろと活動して、今で言う、いわゆるデータセンターのようなものを作りました。もちろん当時はデータセンターという概念が無かった時代です。こうした取り組みが、結果的に現在のNTTスマートコネクト株式会社の設立に繋がりました。
下條:また、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)のISP事業であったハイホーを始めるきっかけとなったのもAPEC大阪会議です。元々、ISP事業立ち上げの構想はあったそうなのですが、会議のために集まった課題・問題を前に、そこで瞬時にさまざまなテクノロジーや人の力が駆使され解決されていくさまを見て、ISPをやる時の問題や必要なことがわかり、事業化の道筋が見えたそうです。「金メダリストばかりがいるところで育成を受けているようなもの」と言っていました(笑)。
―興味深いですね。他にもそんな風にビジネスに繋がっていった例はありますか?
下條:他には会員に映像関係の人が多い関係で、放送局がやるようなものもたくさんありますよ。例えば、APEC大阪会議の時に音楽配信をやっていたのが、現在は関西大学の三浦文夫先生という当時は広告代理店にいた方で、個人的に音源と許諾をもらってきてインターネット配信を行いました。その経験が後にラジオのインターネット配信実験に繋がり、十分にフィージビリティが確認されると、それが現在の「radiko」となりました。そういう経緯があるので、今もradikoのサーバは大阪にあるのです。
また、メディアハブを作ろうという経済産業省の大きなプロジェクトがあり、この時はAPEC大阪会議でストリーミングに力を入れていたメンバーが中心となって活動しました。そうして最初はCKPの実証実験として始まった、甲子園での夏の高校野球のインターネット中継は、現在では朝日放送が事業として行うほどにまでなっています。
―CKPの活動がさまざまなビジネスに繋がっているのですね。
下條:もちろん、最初から事業のことを考えてやっているわけじゃありません。みんな、「仕事だけじゃない、面白いことをやりたい」と集まって、「こんなものがあったら便利だよね」と発想し、やってみて、それが結果として事業になっていくという感じです。そういう意味では未来を想像し、それを見越して、活動をしてきました。それで「ついでにお金も儲かると良いよね」という感じです。企業の会員も自分達だけで考えを実現することは大変ですが、さまざまなプレイヤーが集まったCKPというプラットフォームに乗ることで、単体ではできない、いろんなことができるようになります。
技術屋さんはインフラには詳しいし、面白い技術も知っていますが、そこに載せるコンテンツのことはわかりません。一方、コンテンツ屋さんからすると、「これができたら面白そうだ!」というアイデアはあっても、それを実現する技術的な方法を持ち合わせてないことがあります。そこで、互いに声を掛け合って、だんだんと軌道に乗り始めてきたらそれをビジネス化していくという感じで、これまでたくさんの活動を行ってきました。
このように、CKPで何か楽しいことをやって見せると、それを見て興味を持った人がまた集まってくるのですよね。人の輪です。それの繰り返しでどんどん楽しいことができるようになる。普段の活動では、そういうことを心がけています。
グランフロント大阪・ナレッジキャピタルを活動の拠点に
―これまでのCKPの活動をいろいろうかがってきましたが、今一番盛り上がっている活動はなんでしょうか。
下條:そうですね。やはり、現在のトレンドは映像系でしょうか。
また、CKP全体の活動というわけではありませんが、「FESTIVAL」という日欧連携の実証実験系プロジェクトがあります。これはIoT社会の実現に向けた双方向のIoT実証実験プラットフォームを提供するプロジェクトで、テストベッドを用いて、スマートシティやスマートビルディングといった、さまざまなスマートICTサービスの開発を検証できます。ヨーロッパ側はフランス原子力・代替エネルギー庁(CEA)が、日本側はNICTが公募をし、大阪大学がメインでやっています。そこにCKPも参加して、IoT関連のプロジェクトをこの「グランフロント大阪」の場を中心に行っています。
―このグランフロントの拠点は初めて拝見しましたが、環境も設備もすごいですよね。
小林:グランフロントは知的創造拠点として建築が認可された経緯もあり、このC棟には「ナレッジキャピタル」としてCKPをはじめ学術関係の組織が入っています。9階のこの部屋はリサーチスペースで、下層階には「The Lab.」と呼ばれる公開スペースがあります。さっぽろ雪まつりの時の一般公開では、The Lab.で場所を借りて8K中継のデモをやったり、タイルドでマルチディスプレイのデモをしたりしています。この部屋にも8K映像も流せるタイリングによる大型ディスプレイがあって自慢なんですけど、今この場に写して面白い素材が無いのが難点ですね(笑)
あとはJPNICの会報誌の読者に興味を持ってもらえそうな話だと、この部屋にあるラックは静音ラックなのですよ。中にジュニパー社の大きなルータが入っていて、JGN (Japan Gigabit Network)に100G回線で繋がっています。それを処理できるルータを動かしているわけですから、普通ならこんな音では済まないのですよ。今はとても静かですけど、ラックの扉を開けると…普通はこれぐらいうるさいですよね?(笑)
―音の大きさがまったく違いますね!でも、誌面だと音が伝わらないのでわかりにくいのが残念です(笑)。
小林:ダクトを見れば普通のラックと違うのはわかるかと思います。エアコンも付いていて、ラックの上に付けた配管を通って空気を流しているのですが、なかなか優秀ですよ。最初に整備する時にラック専用の部屋は作れないと言われて、急遽静音ラックを設置することになりました。設置後は動かしにくいのが難点ですが、これのおかげで静かになり会議や、セミナーなどいろいろなイベントもここで快適にできるようになりました。
「東京ではできないことを関西でやろう!」- 山口英先生の熱い想い
―CKPは関西を中心に活動されていますが、地域的な特性みたいなものってあるのでしょうか。
下條:先ほどお話ししたように、CKPの立ち上げには山口先生が深く関わっていますが、山口先生には「東京じゃないとできないって嘘だよね」「大阪でもできるよね」という想いが強く根底にありましたね。山口先生が東京で活動されていた際に「これなら大阪でもできそうだ」と感じたことが多々あって、それなら大阪でも独自にやろうと。
そこで「せっかく関西にいるのだから、東京ではできないことを関西でやろう!」と。「東京が最初」ではなく、「関西が最初」と言われるようなやり方ができると良いよね、ということでスタートしたのがCKPです。それで山口先生は、知り合いで、面白そうな人をどんどんCKPに引き込んでいました。例えば、イベント開催一つとっても、東京をベースにしている人でも関西にまで来て参加してくれる、関西に来てでもやりたい。そう思えるような魅力が無いと20年も続きません。
―CKPの立ち上げには、関西に対する熱い想いがあったのですね。
下條:実際こちらで活動を始めてみると、例えば関西って東京と比べてそれぞれの人間の距離が近かったり、相談もしやすかったりで、意思決定が早いのですね。だから、東京と大阪で同じような時期に同じようなことを始めても、大阪の方が先にできてしまうことが何回もありました。それも20年続いている理由かもしれません。特に、コンテンツホルダーとの親密度が、東京と大阪では全然違います。先にもお話ししましたが、大阪では、在阪のテレビ局がCKPと連携して、いろんなイベントをやっています。
―そういう意味では東京と違いますよね。お話を聞いていて、いかにも「The ネットワーク」という人達だけじゃない感じが新鮮に感じました。
小林:「ネットワーク命」みたいな人だけだと、つまらないですよね。それだと土管を提供するだけになってしまいますから。ただ機能を提供するだけじゃなく、それを何かの目的を持って提供しないと面白くないですよ。
例えば、あるイベントでは、バズーカ砲みたいな無線LANのアクセスポイントを、大阪城の天守閣に設置したのです(笑)。この許可を取るのがもう大変でしたね。天守閣の中は配線ができないので、大阪城の天守閣の上にセンサーとカメラを付けてそこからのビューを映像伝送するのには、無線しかなかったのです。担当者に「映像を送るためには1Gbpsが必要で、どうしてもこれが必要なのです!」と言って説得しました。
こんな感じで、CKPではみんなが自分の仕事だけじゃなくて、何か面白いことができないかと常に考えています。
"うめきた"を中心に、
―本当に興味深い活動をされていますね。CKPの活動とJPNICの活動がうまくコラボレーションできればと思うのですが、何かJPNICに対してご要望はありますでしょうか。
下條:最近話題になっている、インターネットガバナンス関連の活動は頑張って欲しいですね。みんなに興味を持ってもらいたいし、その重要性も理解してもらいたいが、なかなか難しい。もっと多くの人に情報が伝わるように、JPNICには力を入れてもらいたいです。
―はい、JPNICの前村がICANN理事に当選しましたが、日本の声を世界に、世界の声を日本に届けられるように頑張りたいと思います。
下條:また、JPNICでやっている実証実験や研究開発みたいな活動があれば、研究開発のパートナーとして、東京拠点と関西拠点みたいな感じで、CKPが関西での場所を提供できるかもしれないですね。
―ルーティングのPKI (Public Key Infrastructure)をやっていますが、これに関するシステムはJPNICで開発を行っています。
下條:また、最近のCKPの活動はこのうめきた中心です。ここがこれからもっともっと盛り上がるといいなと思っています。例えば、CKPでもセミナーを企画していますが、ここにJPNICが来て一緒に何かやるというのもありかもしれません。
―JPNICでもInternet Weekをはじめとして各種セミナーをやっているので、それの関西版みたいなものを開催するということは検討できそうです。その時にはぜひご協力をお願いできればと思います。
下條:ここの”うめきた”をサテライト会場にしてもよいですね。至るところで言われている話ですが、最近はインフラ系の学生が減っていると感じています。また、CKPとしても若い学生にもっとこういった活動に参加して欲しいと思っています。なので、JPNICには研究開発といった分野にも力を入れてもらいたいですし、セミナーもまずは軽いものから共催みたいな形でやっていけるといいのかもしれません。
関西にいると、精神的にJPNICに限らず東京はすごく遠いイメージがあります。そういった活動を通じて、関西と東京が近くなれると良いと思います。みなさんに、少しは西日本にも気を向けてもらって、両者がより連携してインターネットを良くしていくために、このうめきたのスペースやCKPをどんどん利用してもらえると嬉しいです。
―はい。ぜひ一緒に盛り上げていければと思います。本日はCKPならではの興味深い活動と同時に、貴重なご意見も数多くいただきましたので、ぜひ今後の参考にしたいと思います。お忙しい中、誠にありがとうございました。