ニュースレターNo.65/2017年3月発行
Internet Week開催から20年。Internet Weekのはじまり
JPNIC理事
佐野 晋
"Internet Week (以下、IW)"は文字通り、「この1週間はインターネットの基盤技術や最新動向を学ぼう」を主旨とし、1997年からもう20年続いているイベント である。近年は11月末から12月にかけて開催されているが、そこでインターネットに関する技術の研究・開発、構築・運用・サービスに関わる人々を集め、議論し、学んで、理解と交流を深められる場にしたいと毎年ながらに試行錯誤をしている。
「97年にIWがはじまった」と述べたが、前身とも原型とも言える会合は、1990年から続いていた"IP Meeting"だ。当時、学術系を中心に、IPを使ったインターネットが整備されはじめていたが、携わる人は全国でもまだ数少なく、こうした数少ない日本のインターネット関係者が相互接続に向け情報交換できる唯一のオンサイトの場が、JEPG/IP (Japanese Engineering & Planning Group /IP)が主催となり開催していた、"IP Meeting"であった。IP Meetingのはじまりについては、次の記事に詳しい。
- インターネット 歴史の一幕:第1回 日本インターネットミーティング(IP Meeting'90)
- https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No43/0320.html
1990年には40名ほどだったIP Meetingの参加者は、毎年、倍々のペースで増え、4年後の94年には600人を数えるようになる。こうしたペースで人数が急増すると、情報交換という役割を越え、技術そのものを教えたりキャッチアップしたりする普及啓発の側面も求められるようになった。IP Meetingはそうした需要に対し、チュートリアルやワークショップも開くなどで対応した。インターネット利用の質的・量的な拡大とともに、会議は大幅に拡大していった。それまでも財政的な面などで支援をしていたJPNICに運営体制に関する相談が持ちかけられたのは、1997年1月(IP Meeting '96を開催した翌月)である。当時のJPNICの運営委員会資料でそれが確認できる。JEPG/IPとしては、「IWを作ることに意義を感じており、JPNIC、日本インターネット協会(IAJ)、Internet Conference、World Wide Web Consortium (W3C)などのいくつかのグループを巻き込んで開催したい」ことと併せ、このままJEPG/IPが主催となるのか、それともJPNICが主催となるのか、または関連団体で実行委員会を作って運営していくのかなどの開催形態の選択肢も議論された。
その後関係者で何度かの「企画会議」なる場が持たれ、JPNICからはIW'97をJEPG/IPとJPNICとの共催にしたい、そして4日間で開催してはどうか、またJPNICが企画できるチュートリアルについてやJPNIC会員には参加割引を適用して欲しいというような提案を行った。1997年4月1日に開かれた企画会議で、IW'97はパシフィコ横浜で開催し、日程としては1997年12月16〜19日ということに決まった。
こうして1997年12月16日〜12月19日にパシフィコ横浜で最初のIWが開催された。最終的には、IP Meetingを主催してきたJEPG/IPに加えてJPNICが共同主催者となり、WIDEプロジェクト(WIDE)、日本ソフトウェア科学会、日本UNIXユーザ会(jus)、IAJ、JAVAカンファレンス、コンピュータ緊急対応センター(JPCERT)、電子ネットワーク協議会などの参加を得て、従来のIP Meeting (全体会議、チュートリアル、ワークショップ)に加え、各団体がインターネットに関連したカンファレンスやワークショップを持ち寄って実施する形となった。具体的には、
- JEPG/IPが従来のチュートリアル、全体会議、ワークショップ
- JPNICがチュートリアルとワークショップ
- IAJがJapan WWW Conference
- Javaカンファレンスがその名の通りのJava Conference
- JPCERTがワークショップ
- 日本ソフトウェア科学会インターネットテクノロジ研究会・WIDE・jusが共同開催でのInternet Conference
- 電子ネットワーク協議会主催によるENC Conference '97
が、IW'97の中で開催された(そしてこの中の目玉は、なんと言ってもInternet Conferenceに坂本龍一氏が出演したことであった。) またJPNICは、その場に来られなかった人への普及啓発に役立つように、チュートリアルの「レクチャーノート」を作成し,Web上に公開した。
こうして、Internet Weekとしては初めてのIW'97は大成功に終わった。当時の資料を見ると 、来場者数はそれまでの約7倍の4,129人であり、また「ほぼスケジュール通りに各種の会議を運営進行することができた」とある。しかし、うまくいったからこその課題も残った。'97の後、参加者だけでなく「IWに参加したい」という団体が増え、再びIWの規模拡大の課題が持ち上がった。
そのため、1992年に神戸で開催されたISOC主催の国際会議 INET'92 からこの業界を支えていた(株)ジェイコム(現:(株) JTBコミュニケーションデザイン)にプロとして運営をお願いし、また5月の段階から、97年を上回る数の参加団体からの協力を得て、主催としての実行委員会を結成し、全体企画を行った。多くの会議が同一会場と時期に開催されることの効果を、より一層発揮できるようなプログラム構築の調整には大変な労力がかかり、そのため、IW'98実行委員会は12回、JPNICでの教育ワーキンググループも6回も開催されたと記録に残っている(なお、この数にはその他の打ち合わせは数に入っていない)。
そして1998年12月15日から1998年12月18日にIW'98が国立京都国際会館で開催された。当時はまだインターネットの一般利用が当たり前とは言えない時代だったが、IW'98への問い合わせの基本はメールとし、あえてWebページに電話番号を載せなかった。参加登録は自前のシステムを作ったが、どのプログラムも金額が異なり、クレジットカード決済に対応していない時代だったので、入金確認や受講票発行などの問い合わせに対応するジェイコムの部署は連日徹夜であった。また、今のようなWi-Fiも夢の時代であったため、アクセスコーナーにケーブルを配線するのに防火扉に引っかかるなど、今では笑い話となるような局面もあった。
こうして開催されたIW'98の参加者数は延べで約5,000人。JPNICはジェイコムと協力し、IW'98実行委員会の事務局として開催準備から運営までの業務を行った。ここから、IW'99(横浜)と'00(大阪)が7,500人、'01(横浜)と'02(横浜)が9,000人と、参加人数はうなぎ登りに増えていく。
しかし、こうした生みの苦しみを経ることで、今に20年も続くIWの原型ができたことになる。
(団体の名称は当時の名称を使用しています)