ニュースレターNo.69/2018年7月発行
「通信できること」は素晴らしい
JPNIC理事 松崎 吉伸
仕事柄、世界のさまざまな地域に行くことがあります。 最近はどこでも、Wi-FiやプリペイドSIMなどで、 インターネットに接続できる環境が整備されていて便利です。 先日行ってきたフランスでも、空港でSIMカードを購入して、 自分の携帯電話に挿すだけでデータ通信可能となり、 日常的に利用しているアプリケーションを使って気軽に家族と連絡できたり、 自分が管理している機器を操作できたりと便利でした。 インターネットがここまで普及した理由は、 その接続性のためのコストが比較的安価で、IPさえ喋れれば、 インターネットを通じてさまざまなサービスの提供や利用ができる点が、 大きかったのではないかと感じています。 現在は、インターネットに接続できる機器が普通に市場に出回り、 利用者も各地域で増え続け、世界でさまざまにインターネットが活用されています。
地域によっては、インターネットのもたらす変革が、 その社会と相容れない場合もあります。 例えば宗教や国家体制など、 その地域の価値観でより大切にすべきものがある場合には、 それに反するようなインターネット上のコンテンツ等に、 一定のブロッキングが設定される場合があります。 大抵は、裁判所や国からの命令で実施されているようです。 また、国内産業の保護や検閲を容易にすることを目的として、 国外事業者によって提供されているサービスを、 ブロッキングしていると思われる事例もあります。 これらの制御は、 時として思わぬ通信障害や不具合を引き起こす原因となっていることもありますが、 その地域社会では利用者の不利益よりも、 守るべき価値があるとの社会合意があり、 導入に至ったのだろうと思っています。 これらは、インターネットの普及が、 その社会で無視できないほどの広がりを持っていることの、 証左であるかもしれません。
日本でも、インターネット上で漫画や雑誌を無料で読める、 海賊版Webサイトへの対策としてサイトブロッキングが提案され、 大きな議論となっています。 一般に、ブロッキング等の意図的な通信制御は、可用性の低下を招く危険性があり、 結果として、インターネットの円滑な運営が損なわれることがあります。 このため、容易に導入してはならず、実施するにしても、 慎重な検討と厳密な要件の適用が必要ですし、法的見地からの検討や、 社会合意の醸成も必要だと私は考えています。 インターネットに限らず、権利侵害には適切に対応されるべきです。 その権利回復や侵害停止のために、どのような手段が効果的で、 我々の社会で許容できるのかは、広く検討すべき課題です。
一方で、今回の件では「通信できることの価値」が、 あまり広く伝わっていないのではないか、とも感じました。 インターネットでは、通信の仲介者たる通信事業者は、 基本的に接続性という簡素なサービスのみを提供しており、 デジタル化されたデータであれば、何でもやり取り可能です。 このため、インターネットに接続しさえすれば、通信手段として使ったり、 さまざまなデータや計算資源にアクセスしたりできますし、 何らかの新しいサービスを提供することもできます。 インターネットを通じた世界の経済活動や交流は、 ますます大きくなってきています。 恣意的な、あるいは社会合意や法に基づかない通信制限は、 この発展の可能性を潰しかねません。 「通信できること」自体がインターネットの発展を支えており、 さまざまなサービス誕生の可能性を秘めているのです。
今後もインターネットが健康に発展していけば良いなあと考え、 少しでも寄与できるように頑張っていきます。