1. 巻頭言 インターネット商用化時代のJPNIC
JPNIC 理事・事務局長
丸山直昌
JNICの時代も含めると既に5年もJPNICの仕事に関わっている。 fjのニュースグループでの議論がきっかけで知り合った平原さんに誘われて、 JNIC発足時にドメイン名の部会に入った時からである。 その頃は「インターネット」などと言っても世間では「それ何?」という時代で、 この仕事をいわゆるアカデミックの人々 --- 主に大学などに在籍している研究者 --- が手弁当でやる他はなかった。 しかし、 近い将来商用のインターネットが大発展することは予想していたし、 実際そうなった。 商用のインターネットが発展したとき、 JPNICはどうあるべきか? この問いはここ4年間ほどいつも私の頭から離れない。
さて、「大学の先生」というと、 世間の人々はどのような人種を想像するだろうか? 人格高潔で、頭脳明晰な人物、などは多分想像しないだろう。 ちょっと変人で、専門分野には滅法詳しいが、 それ以外のこととなると、まるで駄目、 そんなイメージで見られているかも知れない。 「オタク」という言葉があるが、そんな感じかも知れない。 私は学者は「オタク」で良いと思っている。 それどころか、 独創的な研究ができるためには「オタク」であることは必須の条件である、 とすら感じている。 しかしJPNIC がオタク的な組織であると誤解されては困る。 JPNICは当初大学の先生達によって支えられて来たにも拘わらず、 ちゃんとした世間常識を持った団体として育って来ていると言えると思う。 それは、大学の先生の中にもまともな人間はいる、 という証拠と言えるかも知れないが、私自身のことを申せば、 事務局長としての仕事をやるときには意識して自分の「オタク」的部分を殺す必要があった。
アカデミック以外の人々に目を向けてみよう。 JPNIC専任の常勤職員は既に7人になり、頼りになる力になった。 しかし、まだ増員する必要がある。 近く社団法人となることができれば、 職員の募集には前よりも多くの優秀な人達が集まってくることだろう。 能力があり、熱意があって、 世間常識をわきまえた人を選びたいと思う一方で、 進歩の早いインターネットに対応していける組織、 という意味では、 常識人ばかりで良いのか? と逆のことも考えたりする。 運営委員会、検討部会ではアカデミック出身の人々に加えて、 最近は商用プロバイダの方々にも多く御協力頂いているが、 残念なことにJPNICの仕事を会社の業務の一環として認知して貰っているとは限らないので、 皆さん苦労されているようである。
組織作りは人作りでもあると言われる。 まさにその「人作り」で思い迷っている。 「商用のインターネットが発展したとき、 JPNIC はどうあるべきか?」この答えもまだ出そうもない。