ニュースレターNo.35/2007年3月発行
インターネット歴史の一幕:
WIDE Project活動開始当初
東京大学情報基盤センター助教授 加藤朗
1986年を過ぎるとJUNET※1の接続数も増え、モデムも300bpsのものから2,400bpsのもの、さらには9,600bpsのデータ転送が可能なものに更新され、扱う電子メール、電子ニュース量は増大していました。しかし、直接IPが届き、いろいろな分散処理が瞬時にできる、という環境は、各組織内部に限定されていました。そのため、広域分散環境の研究といっても、実際の環境での評価はなかなかできなかったわけです。これを打開するためには、組織間を専用線で結び、IPが通る環境を構築することが必要でした。これを実現するためにJUNETの開発に関連していた連中を中心に始まったのがWIDE Projectです。
最初のリンクは1987年に東京大学大型計算機センター(当時)と東京工業大学工学部情報工学科間の64kbps高速デジタル専用線で、Sun-3/260にSCPというシリアル同期通信ができるカードを装着したものが使われました。やや遅れて東京大学大型計算機センターと慶應義塾大学理工学部数理科学科(当時)の間にも64kbpsの回線が開通しました。これによって、それまではすぐに返事を書いても配送されるまでに数時間かかっていた電子メールがほぼ瞬時に届くようになり、その他のアプリケーションも帯域は限られているとはいえ、学内の延長として使えるようになったのは大きな驚きでした。
当初、ネットワークは海外のインターネットには接続されてなかったので、適当な IPアドレスを使っていました。そのため、「正規」のIPアドレスを取得し、それに移行することが必要になりました。これが、現在のJPNICの前身である「IPアドレス割り当て調整委員会」が発足するきっかけになりました。
また、勝手なアドレスを正規のアドレスに移行することも必要でしたが、当時筆者が大学院生だった東京工業大学では、情報工学科のアドレス移行は割合瞬間的に行われましたが、他の学科を説得したり、また学外からパケットが直接飛んでくることに対する懸念の声もありました。丁度ワークステーションをルータにしていましたので、IPを転送する部分のコードを書き換え、宛先アドレスによる転送の制限や、IPヘッダのアドレス書き換えおよびTCP/UDPのチェックサムの補正ができるようにしました。ftpのストリームのoffset変動に対する補正などは組み込まれておらず、アドレスの変更もKernelの再コンパイルが必要になるなど、不十分なものでしたが、JUNETの電子メールの配送には大きく貢献しました。おそらく世界で最初に開発されたNATではなかったかと思います。
その翌年の1989年になると専用ルータProteon 4100を用いて、慶應義塾大学とハワイ大学がPACCOMというプロジェクトの援助を得て接続されるようになり、回線速度は64kbpsでしたが、当時としては画期的な「高速」回線でTISNとほぼ同時期にインターネットの仲間入りをした次第です。この当時の主要なアプリケーションは電子メールとftpでした。また、当時は経路制御プロトコルとしてはRIPが使用されていました。これがBGPになるのは1992年になってからのことです。
帯域や実ユーザ数は現在とは比べものにならないぐらい限られたものでしたが、アメリカの大学に留学しなくてもインターネットが使える環境を手にすることができた意義は非常に大きかったと思います。それまでは、“仮に繋がったとすると”という仮定で議論するしかなかったわけですが、それが実際に動き、評価され、予想していない問題が指摘されると新たな研究課題が生まれます。ネットワークが繋がれば終わるだろうという指摘もあったWIDE Projectが今日も活動を続けている理由はここにあります。
- ※1『JPNIC Newsletter No.29』インターネット歴史の一幕:JUNETの誕生
- http://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No29/060.html